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2020年12月19日土曜日

聖書黙示録終末の預言は成就された──主の再臨をどうお迎えすればよいか

 2000年前、主の弟子たちはイエスに尋ねました。

 「あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」(マタイによる福音書 24:3)

 主イエスは答えられました。

 「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。」(マタイによる福音書 24:6–8)

 今日、世界中でますます多くの災厄が発生しています。地震、伝染病の流行、飢饉、戦争、洪水が相次いで起こっています。2019年の暮れには、中国の武漢で新型コロナウィルスが発生しました。その感染率は驚異的です。わずか数ヶ月のうちに感染例が中国全土で出現し、中国はまたたく間に大混乱に陥りました。死亡者数が増えつづけるなか、多くの省、直轄市、村が次々と閉鎖されつつあります。このウィルスはさらに国境を越えて、世界の20ヶ国以上に広まっています。それに加えてオーストラリアでは、2019年の9月から2020年の1月にかけて森林火災のために、5900棟以上の建物が焼失し10億匹以上の動物の命が奪われました。2020年1月には同じオーストラリア大陸が百年に一度の集中豪雨に見舞われ、洪水が発生し多くの淡水生物が死にました。インドネシアでは同月の洪水のために、何万人という人々が家を失っています。さらにフィリピンで火山が噴火、アフリカで過去25年間で最悪のバッタが大量発生、中国の新疆でマグニチュード6.4の地震が発生……と、こうした例は枚挙に暇がありません。主の来臨を告げる聖書の預言が成就されているのです。こうしたことは主が戻られたことを明白に示しています。では私たちはなぜまだ主の到来をお迎えしていないのでしょうか? このようなことが続けば、私たちは大患難に陥るのではないでしょうか? また主の来臨をお迎えするために、私たちは一体何をすべきなのでしょうか?

2020年12月15日火曜日

人類はなぜ神を信じるべきか

関連する神の言葉

 神は万物を支配し、管理している存在です。神は存在するすべての物事を造り、管理し、支配し、それらに施します。これが神の地位であり、また神の身分です。万物、そして存在するすべての物事について、神の真の身分はあらゆる被造物の創造主であり、支配者なのです。それが神の所有する身分であり、神は万物にあって唯一無二の存在なのです。神の被造物のうちひとつとして、人類の中にあるか、あるいは霊界にあるかを問わず、何らかの方法や言い訳を使って、神の身分と地位を装ったり、神の代理となったりすることができる人はいません。なぜなら、被造物を支配する身分、力、権威、そして能力をもつ存在はただひとつだけであり、それは唯一無二の神自身だからです。神は万物の中で生き、動いています。神は万物のうえ、最も高い場所へと昇ることができます。また神は、血と肉のある人間のひとりに身をやつし、人々と向き合って苦楽を共にすることもできます。それと同時に、神は存在するすべてのものを支配し、その運命と進む方向を決定するのです。さらに、神は人類全体の運命と方向性を導きます。このような神は、あらゆる生物が崇め、付き従い、知るべき存在です。したがって、人類のうちどの集団、どの種類に属しているかを問わず、あらゆる個人、あらゆる生物にとって、神を信じ、神に付き従い、神を畏れること、また自分の運命に対する神の支配と神の采配を受け入れることが、唯一かつ必然の選択肢なのです。『言葉は肉において現れる』の「唯一無二の神自身 10」より引用

2020年12月2日水曜日

全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「正しい道に戻る」


 チェン・グァンは教会の指導者。自身の指導者、同労者、兄弟姉妹たちから認められ評価されようと、休むことなく教会の仕事に打ち込み、兄弟姉妹を支え助けます。その努力はいくらか結果も生みますが、いつのまにか彼は集会での説教で自分を誇示するようになり、注目を浴びようとするようになります。そしてこの振る舞いによって新参者の兄弟姉妹からたたえられ、あがめられるようになり、知らないうちに誤った道に足を踏み入れてしまうのでした。そんなある日、同労者から厳しく取り扱われたチェン・グァンは、ようやく自らを反省し始めます……。最終的に、彼はどうやって誤った道を歩んでいることに気づき、正しい道に戻るのでしょうか。どんな適切な実践の道を見つけるのでしょう? 

2020年12月1日火曜日

全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「苦しみから喜びを」日本語吹き替え


 鍾心銘(チョン・シンミン)は教会の指導者で、本分のためなら苦しみに耐えることができ、良心と責任感を兼ね備えています。腰に問題を抱えていますが、痛みに負けず本分を尽くし続けます。しかし病状は悪化し、検査の結果、脊椎の四番目と五番目がヘルニアに冒されていると判明します。すぐに治療を受けなければ、寝たきりになるかもしれません。彼女は少し不安を覚えますが、この病状は神の許しを得て生じたもので、神は自分に試練を与え、自分の信仰と献身を試しているのだと信じます。そして治療に協力して本分を尽くし続ける限り、神はきっと守ってくださると思うのです。しかし時間が経つにつれて病状はますます悪化し、いつ身体が麻痺してもおかしくない状態に陥ります。病気というこの試練を彼女はどう乗り越えるのでしょう? そして最後にどうやって喜びを得るのでしょう? 『苦しみから喜びを』をご覧になり、その答えを見つけてください。

2020年11月29日日曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「素質の向上は神の救いを授かるためである」抜粋447


 正常な人間性にはどのような側面が含まれているのか。識見、理知、良心、品格である。これらの側面それぞれについて正常性を達成できるならば、人間性は基準に達する。あなたは正常な人間の姿を備え、神を信仰する者らしく見えるべきである。過度な達成をしなくてもよく、外交に関わる必要はなく、ただ正常な人間の理知を備え、物事を見通すことのできる正常な人間であるべきであり、少なくとも正常な人間のように見えなければならない。それで十分である。現在あなたに要求されていることはすべてあなたの能力の範囲内である。これはアヒルを止まり木に登らせようとしているのではない。あなたに無駄な言葉や働きが述べられ、行われることはない。あなたの生活において表され明らかにされる醜悪さはすべて排除しなければならない。あなたがたはサタンに堕落させられ、サタンの毒に満ちている。あなたに求められているのは、その堕落したサタン的性質を捨て去ることだけである。高地位にある人物や有名人や偉人になることは求められていない。それは役に立たない。あなたがたに行われる働きは、あなたがたが生来備えているものを考慮している。

2020年11月21日土曜日

全能神教会 | 神が中国共産党政府と宗教界の奉仕を用いることにおいて、神のどんな知恵と全能性が明らかにされていますか。(1)

 「六千年にわたるわたしの経営(救いの)計画全体は、三つの段階、あるいは時代から成る。まず律法の時代、次に恵みの時代(贖いの時代でもある)、そして最後に神の国の時代である。これら三つの時代におけるわたしの働きは、各時代の性質によって異なるが、それぞれの段階で人の必要性に対応している、というよりむしろ、わたしに対する戦いでサタンが用いるその策略に応じて異なっている。わたしの働きの目的は、サタンを打ち負かし、わたしの知恵と全能を明らかにし、サタンの策略をすべてあばくことで、その支配下に生きるすべての人間を救うことである。それはわたしの知恵と全能を示すと同時に、サタンのおぞましさを明らかにするものである。それに加えてわたしの創造物が善悪を区別し、わたしこそがすべての物を治める者であることを認識し、サタンが人類の敵、下の下、悪い者であることがはっきり分かるよう教え、善悪、真理と偽り、聖さと汚れ、偉大さと卑劣の違いを明白にすることである。それにより無知な人間が、人間を堕落させるのはわたしではないこと、創造主であるわたしだけが人間を救うことができ、楽しみとなる物事を授けることができることを、わたしに対して証しし、わたしこそがすべての物を治める者であり、サタンは後にわたしに背いたわたしの被造物の一つにすぎないと彼らは知ることができる。」
『言葉は肉において現れる』の「贖いの時代における働きについての真実」より

 「神がサタンをすぐには滅ぼさないことによって、サタンがどのように人々を堕落させ、どのように神が人間を救われたかを理解できることに注目する必要がある。サタンが人間をどこまで堕落させ、サタンの罪のリストがどう天に達するかを人間が理解した後で初めて、神は最終的にサタンを滅ぼされる。それにより人々は神の義と神の性質を理解できるからである。」
『キリストの言葉の記録』の「神の義なる性質を理解するには」より

2020年11月16日月曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈:第十章」抜粋225


 神の国の建設は正式に始まっているが、神の国の礼砲はまだ鳴り響いていない。現在、それはこれから起こることの預言に過ぎないのである。民がみな完全にされ、地上のすべての国がキリストの国となるとき、それは七つの雷鳴が轟くときである。現在はその段階へと大きく前進するときであり、その日に向かってすでに進撃している。これが神の計画であり、近い将来実現する。しかし、神は自身が語ったすべてのことをすでに達成している。したがって、地上の国々が砂上の楼閣に過ぎず、大波が押し寄せれば揺れ動くのは明らかである。終わりの日は迫っており、赤い大きな竜は神の言葉の下に倒れる。神の計画が成功裏に遂行されることを確実にすべく、天使たちが地上に降り、神を満足させるために最善を尽くしてきた。そして肉となった神自身が出陣し、敵に戦いを挑んできた。受肉した神がどこに現われようと、敵はその場で滅ぼされる。真っ先に滅ぼされるのは中国で、神の手によって破壊される。神は中国を一切容赦しない。赤い大きな竜が次第に崩壊していることは、人々が絶えず成熟していることによって証明されている。これは誰にとっても一目瞭然である。人々の成熟は敵が消滅することの兆候であり、「競争する」という言葉の意味を少しばかり説明している。このように、神に美しい証しを捧げ、赤い大きな竜の醜さである観念が人の心に占めている地位を打ち消すよう、神は事あるごとに人に思い出させた。そうすることで、神は人々の信仰にいのちを与え、自身の働きを成し遂げる。なぜなら、神はこのように言ったからである。「人間にいったい何ができるのか。むしろ、わたしが自ら行なうのではないのか」。人はこのようなものである。つまり能力がないだけでなく、すぐに落胆し、失望する。そのため、人は神を知ることができない。神は人の信仰を蘇らせるだけでなく、絶えず密かに人々へ力を吹き込んでいるのだ。

2020年11月7日土曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「働きを理解しなさい――混乱したまま付き従ってはならない」抜粋443


 あなたがたは自分が今身に付けるべきことを知っているのか。その一面は働きについてのビジョンに関わっており、もう一つの面が実践だ。あなたがたはこの両方の側面を把握する必要がある。いのちの進歩を追求する際にビジョンを持っていなければ、あなたには基盤がないことになる。ただ実践の道だけを身に付けても、ビジョンが皆無で、全体的な経営(救いの)計画の働きを何も理解していなかったら、あなたは何の役にも立たない。ビジョンに関する真理を理解しなければならず、実践に関連する真理については、理解した後に適切な実践の道を見いだす必要がある。言葉に従って実践し、自分の状況に従って入らなければならないのだ。ビジョンは基盤であり、その事実に留意しないなら最後まで付き従うことはできないだろう。経験をそのようなやり方で得ているなら、道に迷うか、躓いて失敗することになるだろう。成功できる可能性はない。大いなるビジョンを基盤として身に付けていない者には失敗しかなく、成功することはできない。あなたは揺るぎなく立つことができないのだ。神を信じるとはどういうことかを知っているのか。神に付き従うとはどういうことかを知っているのか。ビジョンなくして、どのような道を歩もうというのか。

2020年10月30日金曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「堕落した人類には受肉した神による救いの方が必要である」抜粋82


 受肉した神の働きは最も意義深い。それは働きについての語りであり、最終的に働きを終えるのは受肉した神であって、霊ではない。神はいつか地上に来て、人間に姿を見せ、誰一人も逃さず人を一人一人試みつつ、全人類を自ら裁くと信じている人々がいる。このように考える者は、この受肉の働きの段階を知らない。神は人間を一人一人裁きはしないし、一人ずつ試みもしない。それは裁きの働きではない。堕落はすべての人間に共通しているのではないか。人間の本質は、みな同じなのではないか。裁かれるのは人間の堕落した本質、サタンのせいで堕落した人間の本質、そして人間の罪全部である。

2020年10月26日月曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「真理を追い求めることでのみ、性質の変化を成し遂げられる」抜粋556


 真理を追求することでのみ、性質の変化を遂げることができます。これは人が完全に把握し、理解する必要のある事柄です。真理を十分に理解していなければ、容易に過ちをおかして道に迷います。いのちの成長を望むなら、万事において真理を求めなければなりません。何をしていても、どう振る舞えば真理と一致できるかを探求し、それに反するどのような汚れが自分の中にあるかを突き止める必要があります。こうしたことについて、あなたははっきり理解しなければなりません。自分が何をしていようとも、そこに価値があるかどうかを考えるべきです。有意義なことならしても構いませんが、無意味なことはしてはいけません。してもしなくてもよいことについて言えば、放っておけるものならそうしなさい。そうでなければ、そうしたことをしばらく行ない、後で放っておくべきだと気づいたなら、素早く判断してすぐに捨てなさい。これがあらゆる行為においてあなたが従うべき原則です。中には次のように疑問の声を上げる人もいます。

2020年10月20日火曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「征服の働きの内幕(4)」抜粋92



あなたがたに行われる征服の働きはもっとも意義深い。ある見方では、この働きの目的は一つの集団を完全にすることである。つまり、この人たちを完全にすることであり、彼らは完全にされた最初の一群、言わば初穂として勝利者の集団となる。別の見方では、それは被造物に神の愛を享受させ、神の完全で最も偉大な救いを受けさせ、人間が憐れみと慈愛を享受するだけではなく、さらに重要なことに、刑罰と裁きをも享受させることなのである。創世の時から今日に至るまで、神がその働きで行ったことはすべて愛であり、人間への憎しみは欠片ほどもない。あなたの見た刑罰と裁きでさえ愛であり、それはさらに真実で現実的な愛であり、人を人生の正しい道へと導く愛である。また別の見方では、これはサタンの前で証しすることである。そしてもうひとつの見方では、それは将来の福音の働きを広めるための基礎を築くことである。神が行ったすべての働きは、人を人生の正しい道へと導くことがその目的であり、それにより人間として正常な生き方ができるようにする。

2020年10月18日日曜日

全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「自身の本分に専念する」日本語吹き替




「出世して先祖に栄誉をもたらす」や、「人は上をめざし、水は下に流れる」といったサタンの毒に操られ、評判や地位に夢中の主人公。合唱劇の撮影に参加することになった彼女は、リハーサルで懸命に働き、最前列のカメラの前で注目を浴びたい一心で苦しみ、代償を払います。しかし度々変わる配置の自分の立ち位置に執着するあまり、名声と地位の苦悩という足枷をつけて生きるように。神の御言葉による暴きと裁きをとおして、ようやく自分のサタン的性質と、名声や利益や地位を追求することの危険性と結果についていくらか理解します。後悔した主人公は、名声や地位の追求を棄て、しっかりと地に足をつけて本分をよく尽くすことと、美しい歌声で神を賛美し証しすることに専念します。そうすることで彼女は、真理を実践することの平穏と喜びの味わうのです。

2020年10月16日金曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」抜粋48




ペテロが追い求めた唯一のもの、それは神の心であった。彼は神の心を満たすことを追い求め、苦難や災いを受けても、喜んで神の望みを叶えようとした。神を信じる者として、これ以上の追及の形はない。だがパウロが追い求めたものは、彼自身の肉的なもの、観念、思惑そして企みによって汚れていた。パウロは決して被造物の資質があるとはいえず、また彼は神の心を満たすことを追求する人でもなかった。一方でペテロは神の指揮に従い、その働きはそれ程大きくなかったものの、彼の追求の裏にある動機、そして歩んだ道は正しいものであった。

2020年10月11日日曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖書について(2)」抜粋270




聖書は旧約・新約聖書とも呼ばれる。あなたがたは「約」の意味を知っているだろうか。「旧約」の「約」は、ヤーウェがエジプト人を殺し、イスラエル人をパロから救ったときの、ヤーウェとイスラエルの民との契約に由来する。もちろん、この契約の証しは鴨居につけた子羊の血であり、神はそれをもって人間との契約を立てた。この契約は、戸枠のてっぺんと両側に子羊の血がついた家の者はみなイスラエル人で、彼らは神の選民であり、ヤーウェは彼らを見逃す(このとき、ヤーウェはエジプト人の初子および羊と牛の初子をみな殺そうとしていた)という内容だった。この契約には二重の意味がある。まず、ヤーウェはエジプトの民や家畜を一切救わず、男の初子および羊と牛の初子を残らず殺す。そのため多くの預言書の中で、エジプト人はヤーウェの契約のために厳しく罰せられると預言された。これが契約の第一層の意味である。ヤーウェはエジプト人の初子と家畜の初子をみな殺したが、イスラエルの民はすべて見逃した。

2020年10月9日金曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「あなたは生き返った人か」抜粋537




あなたが正常な人間性を持つ生き方を達成し、全き者にされたら、預言や玄義について話すことができなくても、人間の姿を生き、表しているのである。神は人を造ったが、その後人はサタンによって堕落させられ、この堕落が人々を死人にしてしまった——したがってあなたが変われば、あなたは「死人」とは違うものになるだろう。人々の霊にいのちを与え、人々を再生させるのは神の言葉であり、霊が再生した時、人々は生かされる。死人について言及する時は、霊を持たない死体のこと、霊が死んでいる人々のことを指している。霊にいのちが与えられると、人々は生かされる。以前語られた聖者は生かされた人々、サタンの支配下にあったがサタンを打ち負かした人々のことだ。中国の選ばれた人々は、赤い大きな竜による非人道的な迫害や策略に耐えてきた。その結果、精神はひどく荒廃させられ、生きる勇気を少しも持たなくなった。したがって彼らの霊を目覚めさせるには彼らの本質から始めなければならない。

2020年10月7日水曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「ペテロの経験──刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋525




神は、自身の業により刑罰と裁きが要求されているため、そしてそれ以上に、刑罰と裁きが人間に必要であるため、刑罰と裁きを行う。人間は刑罰と裁きを受ける必要があり、その後に初めて神への愛を実現する事が出来る。現在、あなたがたは完全に確信しているが、些細な挫折があると、あなたがたは問題に見舞われる。あなたがたの背丈は小さすぎるので、一層深い認識を得るために、そうした刑罰と裁きを一層多く経験する必要がある。現在、あなたがたはある程度神を敬い、畏れており、神が真の神であることを知っているが、神に対する大きな愛が無く、いわんや清い愛に達していることは無い。あなたがたの認識は過度に表層的であり、あなたがたの背丈はまだ不十分である。あなたがたが、ある環境に真に直面する時、あなたがたは依然として証しに立ったことが無く、あなたがたが成長に積極的であることは極めて少なく、実践する方法を全く知らない。殆どの者が消極的かつ非活動的である。そうした者は心の中で密かに神を愛するが、実践する術が無く、自分達の目標が何であるかを明瞭に理解していない。完全にされた者は正常な人間性だけでなく、良心の判断を超え、良心的基準を超える真理を備えている。そうした者は自分の良心で神の愛に報いるのみならず、それ以上に、神を知り、神が愛しいこと、人間が愛

2020年9月22日火曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「神を愛する人は永遠に神の光の中に生きる」抜粋504




もし人々が神を畏れる心で神を信じ、神の言葉を経験するなら、そうした人々には神の救いや神の愛がもたらされる。そうした人々は神を証しすることができ、真理に生き、真理、神であるすべて、神の性質について証しし、神の愛に包まれ、神の愛を知っている。もし神を愛したいと願うのなら、神の愛すべきことを経験し、神の愛すべきことを理解しなければならない。そうしてはじめて、神を愛する心、忠実に神に仕えようという思いが生じる。神は文字、あるいは想像力に訴えて人々が神を愛せよとはさせない。神は自身を愛することを人々に強いない。むしろ、人々が自ら進んで神を愛するようにするのだ。自分の働きと言葉の内にその愛すべきことを見るようにし、その後で、神への愛が生まれるようにするのだ。そのようにしてはじめて、人々は真に神を証しできる。人々は、他人からそうするように駆り立てられて神を愛するのではない。また、一時

2020年9月21日月曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「神を愛することだけが本当に神を信じることである」抜粋497




神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたに対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある――その背後にはすべて戦いがある。例えば、あなたが兄弟姉妹に対して偏見を持っているなら、あなたには言いたい言葉――神にとって不愉快かもしれないとあなたが感じる言葉――があるだろうが、心の中ではあなたにとって言わずにいるのは難しいことである。そしてこの時、あなたの心の中には戦いが始まる。

2020年9月20日日曜日

全能神教会 | キリスト教会漫才2019「主の到来の形」 日本語吹き替え




終わりの日、主イエスの再来を待つキリスト教徒たちの間で緊張感が高まる中、実際に主はいかにして再来されるのかという疑問が出る。「雲に乗ってお見えになる」と言う者もいるが、それに対し、再来の預言が他にもあると指摘して異議を唱える声もある。「見よ、わたしは盗人のように来る」(黙示録16:15)、「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカ 17:25)、「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイ25:6)もし主が誰にでも見えるように雲に乗って来られるなら、主が密かに現れ、苦しみ、捨てられるという奥義や、再来の証しをする者たちが出て来るという御言葉はどう説明できるのだろうか。主はどのような形でお姿を表されるのか。本作「主の到来の形」は、私たちの疑問にユーモラスに答えていく。


東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年9月18日金曜日

全能神教会 | キリスト教映画「神を再び磔にするのは誰か」終わりの日にパリサイ人が再び現れた




古守城は中国の家庭教会の牧師です。長年にわたり主を信仰し続けており、常に説教の事におもいを巡らせ、周りに福音を説き続けてきました。彼は福音を説いたために逮捕され、12年間服役しました。刑務所から出所した後も、古守城は教会で働き続けました。しかしながら、全能神の王国の福音が古守城の属する教会にもたらされたとき、彼はそれについて求めたり調べたりせず、頑固に彼自身の思い込みと決めつけにこだわって終わりの日の神の働きを非難し、思い込みと誤謬を広めるためにあらゆる手を使い、信者が真実の道を受け入れるのを妨げようとします。更に古守城は全能神の言葉を読んだ後、その言葉が本当に権威と力を持ち、聞くものすべてを説得する力があることに気づき、全能神の言葉を読んだ者はみな全能神の信者になると深く怖れを抱くようになりました。そして、今の地位と生活が維持できないことを恐れるようになりました。そこで、古守城は長老の王森その他と協議し、全能神を非難し攻撃する中国共産党政府によって流布される噂を利用して人々を欺くことを決めました。古守城と王森は必死で教会に全能神の教えが入らないようにして人々が真実の道を受け入れるのを妨げ、中国共産党の悪魔的な政権と協力までし、全能神の証しをするものを逮捕し迫害します。彼らの行動は深刻に神の性情を侵し、神の呪いがふりかかります。王森は王国の福音を広める人たちを逮捕に向かう途中、交通事故に遭い、その場で亡くなります。古守城は恐怖と絶望の中でパニックに襲われます。彼は頻繁に自問します。「私の全能神への非難は神を再び十字架に磔にすることなのだろうか。」