終わりの日の働きとは、すべての人をその性質に応じて区分し、神の経営(救いの)計画を締めくくることである。時が近づき、神の日が来たからである。神の国に入る人すべて、すなわち神に最後の最後まで忠実な人すべてを、神は神自身の時代に連れて行く。しかし、神自身の時代が来る前は、神の働きは人間の行いを観察したり、人間の生活について調べたりすることではなく、人間の不服従を裁くことである。神の玉座の前に来る人すべてを、神は清めなければならないからである。今日まで神の足跡に従ってきた人はすべて神の玉座の前に来る人であり、これゆえに、最終段階の神の働きを受け入れる人の一人ひとりは神の清めの対象である。言い換えれば、最終段階における神の働きを受け入れる人は誰もが、神の裁きの対象なのである。
全能神のお現れとお働きは、宗教界で長年主を信じる人々は主イエスがすでに再来されたとわかりました。彼らは全能神が主イエスの再来であることを証ししました。従って、すべて全能神の終わりの日のお働きを受けました。
2020年12月29日火曜日
キリスト教と全能神教会の違いは何か
2020年12月26日土曜日
日々の神の御言葉「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」抜粋57
2020年12月24日木曜日
全能神は再臨した主イエスである
関連する神の言葉
ヤーウェの働きの後、人のあいだで神の働きを行うためにイエスは受肉した。イエスの働きは単独で実行されたのではなく、ヤーウェの働きの上に築かれた。それは律法の時代を神が終わらせた後の新しい時代のための働きであった。同様に、イエスの働きが終わった後、神は次の時代のためにさらに神の働きを続行した。神による経営(救い)全体はいつも前進しているからである。古い時代が過ぎると、新しい時代に置き換えられ、古い働きが完了すると、新しい働きが神の経営を続行する。今回の受肉はイエスの働きの完了に続く神の二回目の受肉である。もちろん、この受肉は単独で起こるのではなく、律法の時代と恵みの時代の後の第三段階の働きである。神の働きの新しい段階はそれぞれいつも新しい始まりと新しい時代をもたらす。そこで神の性質、神の働き方、神の働く場所、神の名にもそれに付随した変化がある。したがって、人にとっては、新しい時代の神の働きを受け入れるのが難しいのは無理もない。しかし、いかに人が反対しようと、それには関係なく、神はいつも自分の働きを行っており、いつも人類全体を前方に導いている。イエスが人の世に誕生した時、イエスは恵みの時代をもたらし、律法の時代を終わらせた。終わりの日において神はもう一度肉となり、今回人間の姿になった時、神は恵みの時代を終わらせ、神の国の時代をもたらした。神の二回目の受肉を受け入れる人々はすべて神の国の時代に導かれ、直接神の導きを受け入れることができるだろう。イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。『言葉は肉において現れる』の「序文」より引用
2020年12月23日水曜日
すべては神の言葉が達成する
神はそれぞれの時代において言葉を語り、働きをする。そして神は異なる時代において異なる言葉を話す。神は規則に従わず、同じ働きを繰り返さず、過去の事柄への懐旧の念を抱かない。神は常に新しく、古さとは無縁であり、毎日、新しい言葉を話す。あなたは今日従うべきことに従うべきである。それが人の責任であり本分である。現在における神の光と言葉を軸として実践することが不可欠である。神は規則に従わず、神の知恵や全能性を明らかにするために多くの異なる視点から話すことができる。神が霊の視点から話すか、人の視点から話すか、あるいは第三者の視点から話すかは問題ではない。神は常に神であり、人の視点から話すので神は神ではないと言うことはできない。神が様々な側面から話す結果、一部の人に観念が生まれた。そのような人は神について何の認識ももっておらず、神の働きについても何の認識もない。神が常に一つの視点から話せば、人は神に関して規則を定めないであろうか。人がそのように振舞うことを神が許すことができるであろうか。神がどの視点から話すにせよ、神にはそうする目的がある。もし、神が常に霊の視点から話したなら、あなたは神と関わりをもつことができるであろうか。それゆえ、神は時おり第三者の立場で語り、あなたに言葉を与え、あなたを現実性へと導く。神が行なう万事が適切である。要するに、すべては神になされているのであり、あなたはこのことを疑うべきではない。神は神であり、それゆえ、どの視点から話しても、神は常に神である。これは不変の真理である。どのように働きをしても、神は依然として神であり、神の本質は変わることがない。ペテロは深く神を愛し、神の心に叶う人であったが、神はペテロを主あるいはキリストとして証ししなかった。なぜなら、存在するものの本質は、それ自体であり、決して変わることはできないからである。働きにおいて、神は規則に従うのでなく、働きを効果的にし、人の神についての認識を深めるために種々の方法を用いる。神が働きをする方法のすべてが、人が神を知るのを助け、そしてそれは人を完全にするためである。神がどのような働きの方法を用いても、それぞれが人を作り上げ完全にするためである。神が働きをする方法のうちの一つが非常に長い時間続いたかもしれないが、それは人の神への信仰を強化するためである。したがって、あなたがたの心には疑いがあってはならない。これらはすべて神の働きの過程であり、あなたがたはそれらに従わなければならない。
2020年12月22日火曜日
贖いの時代における働きの内幕
2020年12月20日日曜日
救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た
2020年12月19日土曜日
聖書黙示録終末の預言は成就された──主の再臨をどうお迎えすればよいか
2000年前、主の弟子たちはイエスに尋ねました。
「あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」(マタイによる福音書 24:3)
主イエスは答えられました。
「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。」(マタイによる福音書 24:6–8)
今日、世界中でますます多くの災厄が発生しています。地震、伝染病の流行、飢饉、戦争、洪水が相次いで起こっています。2019年の暮れには、中国の武漢で新型コロナウィルスが発生しました。その感染率は驚異的です。わずか数ヶ月のうちに感染例が中国全土で出現し、中国はまたたく間に大混乱に陥りました。死亡者数が増えつづけるなか、多くの省、直轄市、村が次々と閉鎖されつつあります。このウィルスはさらに国境を越えて、世界の20ヶ国以上に広まっています。それに加えてオーストラリアでは、2019年の9月から2020年の1月にかけて森林火災のために、5900棟以上の建物が焼失し10億匹以上の動物の命が奪われました。2020年1月には同じオーストラリア大陸が百年に一度の集中豪雨に見舞われ、洪水が発生し多くの淡水生物が死にました。インドネシアでは同月の洪水のために、何万人という人々が家を失っています。さらにフィリピンで火山が噴火、アフリカで過去25年間で最悪のバッタが大量発生、中国の新疆でマグニチュード6.4の地震が発生……と、こうした例は枚挙に暇がありません。主の来臨を告げる聖書の預言が成就されているのです。こうしたことは主が戻られたことを明白に示しています。では私たちはなぜまだ主の到来をお迎えしていないのでしょうか? このようなことが続けば、私たちは大患難に陥るのではないでしょうか? また主の来臨をお迎えするために、私たちは一体何をすべきなのでしょうか?
2020年12月15日火曜日
人類はなぜ神を信じるべきか
関連する神の言葉:
神は万物を支配し、管理している存在です。神は存在するすべての物事を造り、管理し、支配し、それらに施します。これが神の地位であり、また神の身分です。万物、そして存在するすべての物事について、神の真の身分はあらゆる被造物の創造主であり、支配者なのです。それが神の所有する身分であり、神は万物にあって唯一無二の存在なのです。神の被造物のうちひとつとして、人類の中にあるか、あるいは霊界にあるかを問わず、何らかの方法や言い訳を使って、神の身分と地位を装ったり、神の代理となったりすることができる人はいません。なぜなら、被造物を支配する身分、力、権威、そして能力をもつ存在はただひとつだけであり、それは唯一無二の神自身だからです。神は万物の中で生き、動いています。神は万物のうえ、最も高い場所へと昇ることができます。また神は、血と肉のある人間のひとりに身をやつし、人々と向き合って苦楽を共にすることもできます。それと同時に、神は存在するすべてのものを支配し、その運命と進む方向を決定するのです。さらに、神は人類全体の運命と方向性を導きます。このような神は、あらゆる生物が崇め、付き従い、知るべき存在です。したがって、人類のうちどの集団、どの種類に属しているかを問わず、あらゆる個人、あらゆる生物にとって、神を信じ、神に付き従い、神を畏れること、また自分の運命に対する神の支配と神の采配を受け入れることが、唯一かつ必然の選択肢なのです。『言葉は肉において現れる』の「唯一無二の神自身 10」より引用
2020年12月14日月曜日
全能神が再臨した主イエスであることを、実際どのように確かめられるのか。
参考聖書箇所
「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネによる福音書 16:12-13)
「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」(ヨハネによる福音書 10:27)
「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」(ヨハネの黙示録 2:7)
「見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(ヨハネの黙示録 5:5)
「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパであり、オメガである』」(ヨハネの黙示録 1:8)
関連する神の言葉
2020年12月8日火曜日
主の再臨はなぜ雲に乗って公然と降臨することだけでなく、秘かに降臨する受肉を伴うのか。
2020年12月3日木曜日
全能神教会 | 終わりの日に再臨した主イエスは、いったいどのような働きを行うのか。
2020年11月30日月曜日
全能神教会 | キリスト教会漫才「パンデミックに直面して」
2020年11月28日土曜日
2020年11月26日木曜日
全能神教会 | サタンの噂を信じ、神に背を向ける者たちを、神はどのように取り扱われますか
2020年11月21日土曜日
全能神教会 | 神が中国共産党政府と宗教界の奉仕を用いることにおいて、神のどんな知恵と全能性が明らかにされていますか。(1)
2020年11月16日月曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈:第十章」抜粋225
神の国の建設は正式に始まっているが、神の国の礼砲はまだ鳴り響いていない。現在、それはこれから起こることの預言に過ぎないのである。民がみな完全にされ、地上のすべての国がキリストの国となるとき、それは七つの雷鳴が轟くときである。現在はその段階へと大きく前進するときであり、その日に向かってすでに進撃している。これが神の計画であり、近い将来実現する。しかし、神は自身が語ったすべてのことをすでに達成している。したがって、地上の国々が砂上の楼閣に過ぎず、大波が押し寄せれば揺れ動くのは明らかである。終わりの日は迫っており、赤い大きな竜は神の言葉の下に倒れる。神の計画が成功裏に遂行されることを確実にすべく、天使たちが地上に降り、神を満足させるために最善を尽くしてきた。そして肉となった神自身が出陣し、敵に戦いを挑んできた。受肉した神がどこに現われようと、敵はその場で滅ぼされる。真っ先に滅ぼされるのは中国で、神の手によって破壊される。神は中国を一切容赦しない。赤い大きな竜が次第に崩壊していることは、人々が絶えず成熟していることによって証明されている。これは誰にとっても一目瞭然である。人々の成熟は敵が消滅することの兆候であり、「競争する」という言葉の意味を少しばかり説明している。このように、神に美しい証しを捧げ、赤い大きな竜の醜さである観念が人の心に占めている地位を打ち消すよう、神は事あるごとに人に思い出させた。そうすることで、神は人々の信仰にいのちを与え、自身の働きを成し遂げる。なぜなら、神はこのように言ったからである。「人間にいったい何ができるのか。むしろ、わたしが自ら行なうのではないのか」。人はこのようなものである。つまり能力がないだけでなく、すぐに落胆し、失望する。そのため、人は神を知ることができない。神は人の信仰を蘇らせるだけでなく、絶えず密かに人々へ力を吹き込んでいるのだ。
2020年11月7日土曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「働きを理解しなさい――混乱したまま付き従ってはならない」抜粋443
2020年10月19日月曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「受肉の奥義(4)」抜粋27
2020年10月16日金曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」抜粋48
2020年10月15日木曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「神の実際性に絶対的に服従できる者は真に神を愛する者である」抜粋489
実際性に関する認識と神の働きに関する明確な理解を得ることは、いずれも神の言葉に見られるものである。そして神が発する言葉を通じてでなければ、あなたは啓きを得られない。それゆえ、あなたは神の言葉をより多く備えるべきである。神の言葉に関する自分の認識を交わりの中で伝えなさい。そうすれば他の人たちを啓いて道を与えることができる。それが実践的な道である。神があなたのために環境を整える前に、あなたがた一人ひとりがまず神の言葉を備えなければならない。これは誰もが行なうべきことであり、緊急の優先事項である。