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2020年12月26日土曜日

日々の神の御言葉「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」抜粋57


 終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。あなたが終わりの日にキリストが与えるいのちの道を求めないのなら、あなたは決してイエスに良しと認めてもらうことはできず、天の国の門をくぐる資格を得ることはない。なぜなら、あなたは歴史の操り人形であり歴史に囚われた人だからだ。規則や文字に支配され、歴史に束縛される者は、決していのちを得ることはなく、永遠のいのちの道を得ることはない。なぜなら、彼らが持っているのは、玉座から流れるいのちの水ではなく、何千年も滞留したままの濁った水でしかないからだ。

2020年12月22日火曜日

贖いの時代における働きの内幕

 わたしの全経営(救いの)計画、六千年にわたる経営計画は三段階、あるいは三時代から成る。それは始まりの律法の時代、次に恵みの時代(贖いの時代でもある)、そして終わりの日の神の国の時代である。これら三時代におけるわたしの働きは、各時代の性質によって異なるが、それぞれの段階においてこの働きは人間の必要性に対応している。正確には、わたしがサタンに対して行なう戦いでサタンが用いる策略に応じて働きは行われる。わたしの働きの目的は、サタンを打ち負かし、わたしの知恵と全能を明らかにし、サタンの策略をすべてあばくことであり、それによりサタンの支配下に生きる人類全体を救うことである。それはわたしの知恵と全能を示し、サタンの耐え難いおぞましさを明らかにするものである。それに加えて、被造物が善悪を区別し、わたしこそが万物を治める者であることを認識し、サタンが人類の敵であり、下の下、悪い者であることをはっきりと見極められるようにし、善と悪、真理と偽り、聖さと汚れ、偉大さと卑劣の違いを絶対的な明白さをもって区別できるようにすることである。それにより無知な人類は、人類を堕落させるのはわたしではなく、創造主であるわたしだけが人類を救うことができ、人々が享受できるものを彼らに授けることができることをわたしに証しし、わたしこそがすべてを治める者であり、サタンは後にわたしに背いたわたしの被造物の一つにすぎないと人類は知ることができる。わたしの六千年の経営計画は三段階に分けられており、わたしがそのように働くのは被造物がわたしの証人となり、わたしの心を知り、わたしこそが真理であることを知らしめるという成果を達成するためである。

2020年12月20日日曜日

救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た

 数千年もの間、人は救い主の到来に立ち会えることを熱望してきた。何千年も救い主イエスを切望し、渇望してきた人々のもとにイエスが白い雲に乗って直接降りてくるのを見ることを望んできた。救い主が戻って来て人々と再会すること、すなわち、救い主イエスが何千年もの間離れていた人々のもとに戻ってくることを望んできた。そしてイエスがユダヤ人の間で行なった贖いの働きをもう一度実行すること、人に対して憐れみ深く愛情にあふれていること、人の罪を赦し、人の罪を負い、人のすべての過ちさえ引き受け、人を罪から救うことを望んでいる。人々は救い主イエスが以前と同じであること、つまり愛すべき、心優しい、尊敬すべき救い主、人に対して決して激怒せず、決して人を非難しない救い主であることを望んでいる。この救い主は人の罪のすべてを赦し、引き受け、人のためにもう一度十字架上で死にさえする。イエスが旅立って以来、彼に従った使徒たちや、彼の名前のおかげで救われたすべての聖徒はイエスを切望し待っている。恵みの時代にイエス・キリストの恵みによって救われた人々はすべて、終わりの日の喜びに満ちたある日、救い主イエスが白い雲に乗って到着し、人々のもとに現れる日をずっと待ち焦がれている。もちろん、これは今日救い主イエスの名前を受け入れるすべての人々が共有する望みでもある。

2020年12月16日水曜日

日々の神の御言葉「肉なる者は誰も怒りの日から逃れられない」抜粋204


 今日は、あなたがた自身が生き残るために、わたしの働きが順調に進み、全宇宙にわたるわたしの幕開けの働きがより適切に、また完全に実現するように、すべての国家の人々に対するわたしの言葉、権威、威厳、裁きを明らかにし、あなたがたに警告を与える。あなたがたの間でわたしが実行する働きは、わたしの全宇宙にわたる働きの始まりである。今はすでに終わりの日であるが、「終わりの日」は時代の名前であり、この言葉は律法の時代や恵みの時代とまったく同じように時代を意味し、最後の数年間や数カ月ではなく、時代全体を表すことを知りなさい。ただし、終わりの日は、恵みの時代や律法の時代とはまったく異なる。終わりの日の働きはイスラエルで実行されるのではなく、異邦人の間で実行される。それはわたしの玉座の前でのイスラエル以外の全ての国々と人々に対する征服であり、これにより全宇宙にわたるわたしの栄光が宇宙全体に満ちるのである。これは、それによりわたしがさらに大きな栄光を得、地上のすべての被造物がすべての国家にわたしの栄光を、世代を超えて引き継ぎ、天と地のすべての被造物が、わたしが地上で得たすべての栄光を見ることができるようになるためである。終わりの日に実現される働きは、征服の働きである。

2020年12月14日月曜日

全能神が再臨した主イエスであることを、実際どのように確かめられるのか。

 参考聖書箇所

 「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネによる福音書 16:12-13)

 「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」(ヨハネによる福音書 10:27)

 「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」(ヨハネの黙示録 2:7)

 「見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(ヨハネの黙示録 5:5)

 「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパであり、オメガである』」(ヨハネの黙示録 1:8)

関連する神の言葉

2020年12月13日日曜日

日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 2」抜粋308


 人々は人生を経験するにつれ、「自分は神のために家族も仕事も諦めた。神はわたしに何を与えてくれただろうか。神に与えられたものを全て計算して確かめてみなければ。最近何か祝福を与えられただろうか。わたしはずっと多くを捧げ、ずっと走り回り、多くの犠牲を払ってきた。神はその報いとして何か約束を下さっただろうか。神はわたしの良い行いを覚えているだろうか。わたしの最後はどうなるだろう。神から祝福を受けるだろうか」。誰もが常に、頻繁にそのようなことを心の中で計算し、彼らの動機付けであり、大志であり、取り引きがかかっている神に要求する。つまり、人間は心の中で常に神を試し、常に神の計画を考え出し、常に神に対して自分を弁護し、神からの言葉を絞り出し、自分の欲しいものを神が与えるかどうかを見ている。神を求める一方で、人は神を神として扱っていない。人間は常に神と取り引きし、絶えず神に要求し、一与えられればその次は十与えられるように神に強要する。

2020年11月29日日曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「素質の向上は神の救いを授かるためである」抜粋447


 正常な人間性にはどのような側面が含まれているのか。識見、理知、良心、品格である。これらの側面それぞれについて正常性を達成できるならば、人間性は基準に達する。あなたは正常な人間の姿を備え、神を信仰する者らしく見えるべきである。過度な達成をしなくてもよく、外交に関わる必要はなく、ただ正常な人間の理知を備え、物事を見通すことのできる正常な人間であるべきであり、少なくとも正常な人間のように見えなければならない。それで十分である。現在あなたに要求されていることはすべてあなたの能力の範囲内である。これはアヒルを止まり木に登らせようとしているのではない。あなたに無駄な言葉や働きが述べられ、行われることはない。あなたの生活において表され明らかにされる醜悪さはすべて排除しなければならない。あなたがたはサタンに堕落させられ、サタンの毒に満ちている。あなたに求められているのは、その堕落したサタン的性質を捨て去ることだけである。高地位にある人物や有名人や偉人になることは求められていない。それは役に立たない。あなたがたに行われる働きは、あなたがたが生来備えているものを考慮している。

2020年11月27日金曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖書について(1)」抜粋267


 聖書とはどのような書物なのか。旧約は律法の時代における神の働きである。旧約聖書は律法の時代におけるヤーウェの働きと、創造の働きを残らず記録している。そのすべてがヤーウェの行なった働きを記録しており、最後はマラキ書のヤーウェによる働きの記述で終わっている。旧約は神の行なった二つの働きを記録している。一つは創造の働き、もう一つは律法の布告である。どちらもヤーウェが行なった働きである。律法の時代はヤーウェ神の名のもとで行なわれた働きを表わしており、おもにヤーウェの名のもとで行なわれた働きの総体である。したがって、旧約はヤーウェの働きを記録しており、新約はイエスの働き、おもにイエスの名のもとで行なわれた働きを記録している。イエスの名の意義と彼が行なった働きは、その大半が新約に記録されている。旧約の律法の時代、ヤーウェはイスラエルに神殿と祭壇を築き、地上におけるイスラエル人の生活を導いたのだが、そのことは、彼らがヤーウェの選民、つまり神が地上で最初に選んだ集団で、神の心にかなう者であり、神が自ら導いた最初の集団であることを証明した。イスラエルの十二部族がヤーウェの最初の選民であり、ゆえにヤーウェは律法の時代における自身の働きが終わるまで、絶えず彼らの中で働いた。第二段階の働きは新約の恵みの時代の働きで、イスラエルの十二部族の一つ、ユダヤの民の間で行なわれた。その働きの範囲が狭かったのは、イエスが受肉した神だったからである。イエスはユダヤの全土でしか働かず、三年半の間だけ働いた。ゆえに、新約に記録されたものは、旧約に記録された働きの量を到底超えられないのである。

2020年11月16日月曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈:第十章」抜粋225


 神の国の建設は正式に始まっているが、神の国の礼砲はまだ鳴り響いていない。現在、それはこれから起こることの預言に過ぎないのである。民がみな完全にされ、地上のすべての国がキリストの国となるとき、それは七つの雷鳴が轟くときである。現在はその段階へと大きく前進するときであり、その日に向かってすでに進撃している。これが神の計画であり、近い将来実現する。しかし、神は自身が語ったすべてのことをすでに達成している。したがって、地上の国々が砂上の楼閣に過ぎず、大波が押し寄せれば揺れ動くのは明らかである。終わりの日は迫っており、赤い大きな竜は神の言葉の下に倒れる。神の計画が成功裏に遂行されることを確実にすべく、天使たちが地上に降り、神を満足させるために最善を尽くしてきた。そして肉となった神自身が出陣し、敵に戦いを挑んできた。受肉した神がどこに現われようと、敵はその場で滅ぼされる。真っ先に滅ぼされるのは中国で、神の手によって破壊される。神は中国を一切容赦しない。赤い大きな竜が次第に崩壊していることは、人々が絶えず成熟していることによって証明されている。これは誰にとっても一目瞭然である。人々の成熟は敵が消滅することの兆候であり、「競争する」という言葉の意味を少しばかり説明している。このように、神に美しい証しを捧げ、赤い大きな竜の醜さである観念が人の心に占めている地位を打ち消すよう、神は事あるごとに人に思い出させた。そうすることで、神は人々の信仰にいのちを与え、自身の働きを成し遂げる。なぜなら、神はこのように言ったからである。「人間にいったい何ができるのか。むしろ、わたしが自ら行なうのではないのか」。人はこのようなものである。つまり能力がないだけでなく、すぐに落胆し、失望する。そのため、人は神を知ることができない。神は人の信仰を蘇らせるだけでなく、絶えず密かに人々へ力を吹き込んでいるのだ。

2020年11月14日土曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖書について(1)」抜粋266


 神が律法の時代の働きを行なった後に旧約聖書は作られたのだが、人々が聖書を読み始めたのはそのときだった。イエスは到来後に恵みの時代の働きを行ない、彼の使徒たちが新約聖書を記した。このようにして旧約聖書と新約聖書は作られ、今日に至るまで、神を信じるすべての人が聖書を読んできた。聖書は歴史書である。もちろん、そこには預言者の預言もいくつか載っている。そして、そうした預言は歴史などではまったくない。聖書はいくつかの部分から成っており、預言だけではなく、ヤーウェの働きだけでもなく、パウロの手紙だけでもない。聖書には幾つの部分があるかを知っていなければいけない。旧約聖書には創世記や出エジプト記などが含まれ、預言者たちが書いた預言書もある。最後に、旧約はマラキ書で終わる。旧約は、ヤーウェによって導かれた律法の時代の働きを記録している。創世記からマラキ書まで、それは律法の時代の働き全体の総合的な記録である。つまり、旧約は律法の時代にヤーウェによって導かれた人々が経験したことを残らず記録しているのである。旧約の律法の時代、ヤーウェによって起こされた大勢の預言者が神の預言をした。彼らはさまざまな部族や民族に指示を与え、ヤーウェが行なうであろう働きを預言した。

2020年11月13日金曜日

全能神教会 | 神への信仰が真実であれば、頻繁に神の労りを与えられる

 ニネベの人々に対する神の心の変化には、躊躇や曖昧さが一切含まれていなかった。むしろ、その変化は純粋な怒りから、純粋な寛容さへの変化であった。これが神の本質の真の明示である。神は、業に関して優柔不断であることや躊躇することが決して無い。神の業の根底にある原理と目的はすべて明白かつ明瞭であり、純粋で完璧であり、その中に策略や陰謀は一切潜んでいない。つまり、神の本質には、闇や邪悪が一切含まれていない。神はニネベの人々の悪の行いが神の目に留まったため、ニネベの人々に対して怒ったが、この時、神の怒りは神の本質に由来するものであった。しかし、神の怒りが消え、ニネベの人々に再び寛容さが与えられた時に神が明示したのも、神自身の本質であった。この変化は、すべて人間の神に対する姿勢の変化に起因するものであった。この変化の間、侵害を許さない神の性質も、神の寛容な本質も、神の愛と憐れみに満ちた本質も変わることが無かった。人々が邪悪な行動を取ったり、神を侵害したりした場合、神はその人々に神の怒りを伝える。人々が真に悔い改めた場合、神の心は変化し、神の怒りは静まる。人々が神に対して頑なに反抗を続けた場合、神の怒りは静まることが無い。神の怒りは徐々にこうした人々を侵し、最終的に人々は滅びを迎える。これが神の性質の本質である。神が示しているのが怒りであれ、憐れみと慈愛であれ、人間の心底にある神に対する行動と姿勢が、神の性質の明示により何が現されるかを左右する。神がある者に対して継続して怒っている場合、その者の心は間違い無く神に反抗している。その者は決して悔い改めず、神の前でひれ伏すこともなく、神に対して真の信仰を持つこともなかったため、その者は決して神の憐れみと寛容さを得ることはできない。ある者が神の労りや憐れみ、寛容さを頻繁に与えられている場合、その者には間違い無く神に対する真の信仰があり、その者の心は神に反抗していない。その者はしばしば神の前で正直に悔い改めるので、しばしば神の鍛錬がその者にくだったとしても、その者に神の怒りがくだることは無い。

2020年11月12日木曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「働きと入ること(2)」抜粋458


 人が働くのは、神の旨を満足させ、神の心にかなう人々を残らず神の前に導き、人間を神のもとへ連れ出し、聖霊の働きと神の導きを人間にもたらし、よって神の働きの成果を完全なものにするためである。したがって、働きの本質を徹底的に理解することが必須なのである。神に用いられる者として、すべての人が神のために働く価値をもつ。つまり、誰もが聖霊に用いられる機会を有しているのである。しかし、認識すべき点がひとつある。すなわち、神から託された働きを行う時、人間には神に用いられる機会が与えられてきたが、人間の言うことや知っていることが、人間の霊的背丈とは限らない、ということである。あなたがたにできるのは、働きの過程で自分の欠点をよりよく知り、聖霊からのより偉大な啓きを自分のものにすることだけである。そうすることで、自分の働きの過程において、よりよい入りを得られるのである。神から来る導きを自分の入りと考えるなら、そして自分にもともと備わっている何かと考えるなら、人間の霊的背丈が成長する可能性はない。聖霊が人の中で働かせる啓きは、その人が正常な状態の時に生じる。そのような時、人々は自分の受け取る啓きを、しばしば自分の実際の霊的背丈だと勘違いする。

2020年11月9日月曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「モアブの子孫を救うことの意義」抜粋185


 今モアブの子孫に働きを行なうことは、最も暗い所へ落ちた者を救うことである。モアブの子孫は呪われたが、神は彼らから栄光を得ることをいとわなかった。なぜならモアブの子孫は皆、当初は心に神のいない者だったからである。心に神のいない者を神に従い神を愛する者にすることだけが真の征服であり、そのような働きの成果が最も価値があり、最も説得力がある。それだけが栄光を得ることであり、それが終わりの日に神が獲得したい栄光である。地位が低いものの、その人たちが今そのような偉大な救いを得られることは、まさに神に高く揚げられることである。この働きは極めて意義深く、神は裁きを通してこの人たちを獲得する。神の意図は彼らを罰することではなく、救うことである。もしも終わりの日に、神が依然としてイスラエルで征服の働きを行なっていたならば、それは無価値である。たとえその働きに成果があったとしても、少しの価値も大きな意義もなく、神は全ての栄光を得られないであろう。神は、あなたがた最も暗い所に落ち、最も遅れている人たちに働きを行なっているのである。この人たちは神が存在することを認めず、神が存在することを未だに知らずにいる。このような被造物は、神のことを忘れてしまうほどサタンに堕落させられている。彼らはサタンに盲目にされ、天に神が存在することを全く知らない。

2020年11月7日土曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「働きを理解しなさい――混乱したまま付き従ってはならない」抜粋443


 あなたがたは自分が今身に付けるべきことを知っているのか。その一面は働きについてのビジョンに関わっており、もう一つの面が実践だ。あなたがたはこの両方の側面を把握する必要がある。いのちの進歩を追求する際にビジョンを持っていなければ、あなたには基盤がないことになる。ただ実践の道だけを身に付けても、ビジョンが皆無で、全体的な経営(救いの)計画の働きを何も理解していなかったら、あなたは何の役にも立たない。ビジョンに関する真理を理解しなければならず、実践に関連する真理については、理解した後に適切な実践の道を見いだす必要がある。言葉に従って実践し、自分の状況に従って入らなければならないのだ。ビジョンは基盤であり、その事実に留意しないなら最後まで付き従うことはできないだろう。経験をそのようなやり方で得ているなら、道に迷うか、躓いて失敗することになるだろう。成功できる可能性はない。大いなるビジョンを基盤として身に付けていない者には失敗しかなく、成功することはできない。あなたは揺るぎなく立つことができないのだ。神を信じるとはどういうことかを知っているのか。神に付き従うとはどういうことかを知っているのか。ビジョンなくして、どのような道を歩もうというのか。

2020年11月3日火曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「全宇宙への神の言葉:第四十三章」抜粋67


 わたしは自分の業の顕示で天空を満たし、地上のあらゆるものがわたしの力の下にひれ伏し、そうして「世界統一」に向けたわたしの計画を実行し、わたしのその願いを実現するようにさせる。それにより、人々が地表を「さまよう」ことはなくなり、すぐに適切な終着点を見つける。わたしはあらゆる方法で人を熟慮し、全人類がいますぐ平和と幸福の地に住むようになり、人々の生活の日々がもはや悲しくも惨めでもなく、わたしの計画が地上で無になることのないようにする。人がそこに存在するので、わたしは地上にわたしの国を建てる。と言うのも、わたしの栄光の一部は地上に現われるからである。

2020年10月24日土曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」抜粋482




 あなたは、ペテロとパウロの本質の違いから、いのちを追い求めない人の努力は全て徒労に終わるということを知るべきである。あなたは神を信じ、神に付き従っているのだから、心で神を愛さなければならない。自分自身の堕落した性質は脱ぎ捨て、神の望みを叶えることを追い求め、被造物としての本分を尽くさなければならない。あなたは、神を信じ付き従う以上、あなたの持つすべてを神に捧げ、自分の個人的な選択や要求は持たず、神の望みを満たすことに尽くすべきである。造られた者として自分を造った神に従うべきである。これは、あなたが元々自分を支配することができず、自分の運命を決める能力も持ち合わせていないからである。

2020年10月20日火曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「征服の働きの内幕(4)」抜粋92



あなたがたに行われる征服の働きはもっとも意義深い。ある見方では、この働きの目的は一つの集団を完全にすることである。つまり、この人たちを完全にすることであり、彼らは完全にされた最初の一群、言わば初穂として勝利者の集団となる。別の見方では、それは被造物に神の愛を享受させ、神の完全で最も偉大な救いを受けさせ、人間が憐れみと慈愛を享受するだけではなく、さらに重要なことに、刑罰と裁きをも享受させることなのである。創世の時から今日に至るまで、神がその働きで行ったことはすべて愛であり、人間への憎しみは欠片ほどもない。あなたの見た刑罰と裁きでさえ愛であり、それはさらに真実で現実的な愛であり、人を人生の正しい道へと導く愛である。また別の見方では、これはサタンの前で証しすることである。そしてもうひとつの見方では、それは将来の福音の働きを広めるための基礎を築くことである。神が行ったすべての働きは、人を人生の正しい道へと導くことがその目的であり、それにより人間として正常な生き方ができるようにする。

2020年10月11日日曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖書について(2)」抜粋270




聖書は旧約・新約聖書とも呼ばれる。あなたがたは「約」の意味を知っているだろうか。「旧約」の「約」は、ヤーウェがエジプト人を殺し、イスラエル人をパロから救ったときの、ヤーウェとイスラエルの民との契約に由来する。もちろん、この契約の証しは鴨居につけた子羊の血であり、神はそれをもって人間との契約を立てた。この契約は、戸枠のてっぺんと両側に子羊の血がついた家の者はみなイスラエル人で、彼らは神の選民であり、ヤーウェは彼らを見逃す(このとき、ヤーウェはエジプト人の初子および羊と牛の初子をみな殺そうとしていた)という内容だった。この契約には二重の意味がある。まず、ヤーウェはエジプトの民や家畜を一切救わず、男の初子および羊と牛の初子を残らず殺す。そのため多くの預言書の中で、エジプト人はヤーウェの契約のために厳しく罰せられると預言された。これが契約の第一層の意味である。ヤーウェはエジプト人の初子と家畜の初子をみな殺したが、イスラエルの民はすべて見逃した。

2020年9月26日土曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「経験について」抜粋450




神の働きについての認識がないと、神とどのように協力すればよいかがわからない。神の働きの原則を知らず、サタンがどのように人の中で働くのか気づいていないと、実践の道を得ることはできない。ただ熱心に追い求めるだけでは、神が要求する結果を達成することはできない。そのような経験の仕方は、ラウレンシオのやり方に似ている。つまり、サタンの働きとは何なのか、聖霊の働きとは何なのか、神の臨在がないと人間の状態はどうなるのか、神はどのような人々を完全にしたいのか等のことを一切認識せず、物事を識別することなく、ただ経験だけに焦点を合わせるやり方である。そうした人は、どのような原則に従ってさまざまな人々に対応するべきか、神の現在の旨をどのように把握するべきか、神の性質をどのように知るべきか、そして神の憐れみと威厳と義はどの人々、状況、時代に向けられるのか、といった物事を一切識別しない。さまざまなビジョンを経験の基盤としなければ、いのちなど問題外となって

2020年8月26日水曜日

全能神教会 | 主の力を賛美する「このように神は全てを統べ治める」ハレルヤ



産声を上げ この世に生まれた時から 
人は自分の義務を行う 
神の計画と采配の中 
自分の役割を担い
人生の旅を始める 
どんな経歴・旅路があろうと
誰も天にある指揮と采配を逃れられない
誰も運命をコントロールできない
全てを統べ治める方のみ 
全てなすことができる 

人間が存在するようになった日から 
神の業はゆるがない