全能神のお現れとお働きは、宗教界で長年主を信じる人々は主イエスがすでに再来されたとわかりました。彼らは全能神が主イエスの再来であることを証ししました。従って、すべて全能神の終わりの日のお働きを受けました。
2021年1月1日金曜日
受肉およびその本質とは何か
2020年12月29日火曜日
キリスト教と全能神教会の違いは何か
2020年12月26日土曜日
日々の神の御言葉「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」抜粋57
2020年12月23日水曜日
すべては神の言葉が達成する
神はそれぞれの時代において言葉を語り、働きをする。そして神は異なる時代において異なる言葉を話す。神は規則に従わず、同じ働きを繰り返さず、過去の事柄への懐旧の念を抱かない。神は常に新しく、古さとは無縁であり、毎日、新しい言葉を話す。あなたは今日従うべきことに従うべきである。それが人の責任であり本分である。現在における神の光と言葉を軸として実践することが不可欠である。神は規則に従わず、神の知恵や全能性を明らかにするために多くの異なる視点から話すことができる。神が霊の視点から話すか、人の視点から話すか、あるいは第三者の視点から話すかは問題ではない。神は常に神であり、人の視点から話すので神は神ではないと言うことはできない。神が様々な側面から話す結果、一部の人に観念が生まれた。そのような人は神について何の認識ももっておらず、神の働きについても何の認識もない。神が常に一つの視点から話せば、人は神に関して規則を定めないであろうか。人がそのように振舞うことを神が許すことができるであろうか。神がどの視点から話すにせよ、神にはそうする目的がある。もし、神が常に霊の視点から話したなら、あなたは神と関わりをもつことができるであろうか。それゆえ、神は時おり第三者の立場で語り、あなたに言葉を与え、あなたを現実性へと導く。神が行なう万事が適切である。要するに、すべては神になされているのであり、あなたはこのことを疑うべきではない。神は神であり、それゆえ、どの視点から話しても、神は常に神である。これは不変の真理である。どのように働きをしても、神は依然として神であり、神の本質は変わることがない。ペテロは深く神を愛し、神の心に叶う人であったが、神はペテロを主あるいはキリストとして証ししなかった。なぜなら、存在するものの本質は、それ自体であり、決して変わることはできないからである。働きにおいて、神は規則に従うのでなく、働きを効果的にし、人の神についての認識を深めるために種々の方法を用いる。神が働きをする方法のすべてが、人が神を知るのを助け、そしてそれは人を完全にするためである。神がどのような働きの方法を用いても、それぞれが人を作り上げ完全にするためである。神が働きをする方法のうちの一つが非常に長い時間続いたかもしれないが、それは人の神への信仰を強化するためである。したがって、あなたがたの心には疑いがあってはならない。これらはすべて神の働きの過程であり、あなたがたはそれらに従わなければならない。
2020年12月22日火曜日
贖いの時代における働きの内幕
2020年12月19日土曜日
真理とは何か
参考聖書箇所:
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハネによる福音書 1:1)
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。……めぐみとまこととに満ちてい。」(ヨハネによる福音書 1:14)
「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネによる福音書 14:6)
「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」(ヨハネによる福音書 17:17)
関連する神の言葉:
神自身がいのちであり、真理であり、神のいのちと真理は共存している。真理を得られない者がいのちを得ることは決してない。真理による導き、支え、施しがなければ、あなたは文字と教義、そして何より死しか得られない。神のいのちは常に存在し、神の真理といのちは共存する。真理の源を見つけられなければ、いのちの糧は得られない。いのちの施しを得られないなら、真理を一切得られないことは間違いなく、ゆえに想像と観念を除けば、あなたの全身はただの肉、臭い肉でしかない。書物の言葉がいのちに数えられることはなく、歴史の記録が真理として敬われることはなく、過去の規則が神によって今語られている言葉の記録になることはないと知りなさい。神が地上に来て、人の間で生きているときに表わすものだけが真理であり、いのちであり、神の旨であり、神が現在働く方法である。『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より引用
聖書黙示録終末の預言は成就された──主の再臨をどうお迎えすればよいか
2000年前、主の弟子たちはイエスに尋ねました。
「あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」(マタイによる福音書 24:3)
主イエスは答えられました。
「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。」(マタイによる福音書 24:6–8)
今日、世界中でますます多くの災厄が発生しています。地震、伝染病の流行、飢饉、戦争、洪水が相次いで起こっています。2019年の暮れには、中国の武漢で新型コロナウィルスが発生しました。その感染率は驚異的です。わずか数ヶ月のうちに感染例が中国全土で出現し、中国はまたたく間に大混乱に陥りました。死亡者数が増えつづけるなか、多くの省、直轄市、村が次々と閉鎖されつつあります。このウィルスはさらに国境を越えて、世界の20ヶ国以上に広まっています。それに加えてオーストラリアでは、2019年の9月から2020年の1月にかけて森林火災のために、5900棟以上の建物が焼失し10億匹以上の動物の命が奪われました。2020年1月には同じオーストラリア大陸が百年に一度の集中豪雨に見舞われ、洪水が発生し多くの淡水生物が死にました。インドネシアでは同月の洪水のために、何万人という人々が家を失っています。さらにフィリピンで火山が噴火、アフリカで過去25年間で最悪のバッタが大量発生、中国の新疆でマグニチュード6.4の地震が発生……と、こうした例は枚挙に暇がありません。主の来臨を告げる聖書の預言が成就されているのです。こうしたことは主が戻られたことを明白に示しています。では私たちはなぜまだ主の到来をお迎えしていないのでしょうか? このようなことが続けば、私たちは大患難に陥るのではないでしょうか? また主の来臨をお迎えするために、私たちは一体何をすべきなのでしょうか?
2020年12月17日木曜日
世界がかくも暗く邪悪なのはなぜか。堕落の頂点にいる人類は滅ぼされるべきなのか
(1)世界がかくも暗く邪悪なのはなぜか
参考聖書箇所
「全世界は悪しき者の配下にある」(ヨハネの第一の手紙 5:19)
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」(ヨハネによる福音書 1:5)
関連する神の言葉
最初に神により造られたアダムとエバは、聖なる人間であった。すなわちエデンの園にいた間、彼らは聖く、けがれがなかった。また彼らはヤーウェに忠実であって、ヤーウェを裏切ることなど一切知らなかった。なぜなら、彼らはサタンの影響による妨害を全く受けず、サタンに毒されておらず、全人類の中で最も純粋だったからである。彼らはエデンの園に住み、一切けがれにけがされることなく、肉に囚われることなく、ヤーウェを畏れ敬っていた。その後、彼らがサタンに誘惑された時、彼らはへびの毒に見舞われ、ヤーウェを裏切ることを望み、サタンの影響の下で生きた。最初、彼らは聖なるものであり、ヤーウェを敬っていた。そうすることだけが、彼らを人間としていた。その後、彼らがサタンに誘惑された後、彼らは、善悪を知る木の実を食べて、サタンの影響の下で生きた。彼らは、サタンにより次第に堕落させられ、本来の人間の姿を失っていった。最初、人間にはヤーウェの息吹があり、不従順であることは一切なく、心には悪が一切なかった。この時、人間は本当の意味で人間であった。人間は、サタンにより堕落させられた後、獣となった。人間の考えは悪とけがれで満たされ、善や聖さはなかった。それはサタンではなかろうか。『言葉は肉において現れる』の「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」より引用
2020年12月16日水曜日
日々の神の御言葉「肉なる者は誰も怒りの日から逃れられない」抜粋204
2020年12月15日火曜日
人類はなぜ神を信じるべきか
関連する神の言葉:
神は万物を支配し、管理している存在です。神は存在するすべての物事を造り、管理し、支配し、それらに施します。これが神の地位であり、また神の身分です。万物、そして存在するすべての物事について、神の真の身分はあらゆる被造物の創造主であり、支配者なのです。それが神の所有する身分であり、神は万物にあって唯一無二の存在なのです。神の被造物のうちひとつとして、人類の中にあるか、あるいは霊界にあるかを問わず、何らかの方法や言い訳を使って、神の身分と地位を装ったり、神の代理となったりすることができる人はいません。なぜなら、被造物を支配する身分、力、権威、そして能力をもつ存在はただひとつだけであり、それは唯一無二の神自身だからです。神は万物の中で生き、動いています。神は万物のうえ、最も高い場所へと昇ることができます。また神は、血と肉のある人間のひとりに身をやつし、人々と向き合って苦楽を共にすることもできます。それと同時に、神は存在するすべてのものを支配し、その運命と進む方向を決定するのです。さらに、神は人類全体の運命と方向性を導きます。このような神は、あらゆる生物が崇め、付き従い、知るべき存在です。したがって、人類のうちどの集団、どの種類に属しているかを問わず、あらゆる個人、あらゆる生物にとって、神を信じ、神に付き従い、神を畏れること、また自分の運命に対する神の支配と神の采配を受け入れることが、唯一かつ必然の選択肢なのです。『言葉は肉において現れる』の「唯一無二の神自身 10」より引用
2020年12月14日月曜日
全能神が再臨した主イエスであることを、実際どのように確かめられるのか。
参考聖書箇所
「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネによる福音書 16:12-13)
「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」(ヨハネによる福音書 10:27)
「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」(ヨハネの黙示録 2:7)
「見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(ヨハネの黙示録 5:5)
「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパであり、オメガである』」(ヨハネの黙示録 1:8)
関連する神の言葉
2020年12月13日日曜日
日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 2」抜粋308
2020年12月12日土曜日
日々の神の御言葉「神の現れによる新時代の到来」抜粋72
アメリカ人でも、イギリス人でも、どこの国の人でも、自分という枠を乗り越え、自分という存在を超越し、神の創造物として神の働きを見なくてはならない。そうすれば、神の足跡を枠にはめることはないだろう。それは、特定の国や民族に神が現れることはないだろうと考えている人が多いからである。ああ、神の働きの意義はなんと深く、神の現れはなんと重要か。それは人の観念や考えで測ることなどできるのだろうか。そのため、神の現れを探し求める際には、みずからの国籍や民族性という枠を突き抜けるべきである。そうすれば、自分自身の観念に制約されることなく、神の現れを喜び迎えることができる。そうでなければ、暗闇の中にいつまでもとどまり、神から認められることもない。
2020年12月9日水曜日
神様に聞いていただく3つの祈り方
兄弟姉妹の皆さん:
主にある平安がありますように。私たちクリスチャンにとって、祈りは神様との正常な関係を築くために重要です。特に朝夕の祈りは重要です。ですから、どのように祈るかを学ぶことは非常に重要なのです。けれども多くの兄弟姉妹が戸惑いを感じます。私たちは朝晩毎日祈り、食前の感謝と食後の感謝、集会でも祈ります。祈るときにはいつでも、主に多くを語り、長時間祈ります。けれども、あたかも神様はそこにはおられないかのようにいつも感じてしまいます。祈りながら、まるで独り言をいっているかのように感じ、心に平安や喜びを感じることができません。なぜ神様は私たちの祈りを聞いて下さらないのでしょうか。神様に称賛していただけるように祈るにはどうしたら良いのでしょうか。
実は、神様が私たちの祈りを聞いて下さらない理由が2~3あります。私が理解しているところをみなさんと分かち合いたいと思います。
第1に、私たちは心から神様に祈っているかどうかということです。
主イエスは言われました。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。…父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。」(ヨハネによる福音書 4:23)神様の御言葉から、神様の意図に沿った、神様を礼拝する祈りでなくてはならないことが分かります。神様が最も重要視するのは、私たちには神様の前に誠実な心があるかということ、そして誠実に真実を語るかどうかということです。神様を敬い、誠実な心で祈る限り、神様は私たちの祈りを受け入れて下さいます。けれども私たちはしばしば、神様の前に静まって真心で祈ることができません。唇は動いていても、心は家族や仕事など、あれこれ心配事で一杯です。唇が動くだけで心は動かない時もあります。誠実な心になれず、ただお決まりの行為を繰り返し、深く考えずにただ祈ります。しばしば威厳を感じさせるような、もったいぶった空虚な言葉を語り、単に聞こえの良い言葉やあまり意味のない言葉を使って神様を欺こうとします。例えば、親や仕事を主より愛しているにもかかわらず、祈るときには、「ああ主よ、あなたを愛しています。全てを投げ捨てて心からあなたに尽くします。」などと祈ったりします。家族に嫌なことが起これば、否定的な気持ちになり、主に不平を言います。それでも祈る時には、主に感謝の言葉を述べて賛美の言葉を述べるのです・・・。基本的に祈りの中では、誠実でなく、ただ大それた空しい言葉を使い、偽りの言葉を使い、形だけのものであったり、聞こえの良い言葉を並べて神様の前に自分を偽ったりするのであればその人は神様を欺いているのです。神様は誠実でない祈りは聞かれません。
2020年12月8日火曜日
主の再臨はなぜ雲に乗って公然と降臨することだけでなく、秘かに降臨する受肉を伴うのか。
2020年12月7日月曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「人類の経営の目的」抜粋313
2020年12月5日土曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「受肉の奥義(4)」抜粋77
2020年12月3日木曜日
全能神教会 | 終わりの日に再臨した主イエスは、いったいどのような働きを行うのか。
2020年12月1日火曜日
全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「苦しみから喜びを」日本語吹き替え
鍾心銘(チョン・シンミン)は教会の指導者で、本分のためなら苦しみに耐えることができ、良心と責任感を兼ね備えています。腰に問題を抱えていますが、痛みに負けず本分を尽くし続けます。しかし病状は悪化し、検査の結果、脊椎の四番目と五番目がヘルニアに冒されていると判明します。すぐに治療を受けなければ、寝たきりになるかもしれません。彼女は少し不安を覚えますが、この病状は神の許しを得て生じたもので、神は自分に試練を与え、自分の信仰と献身を試しているのだと信じます。そして治療に協力して本分を尽くし続ける限り、神はきっと守ってくださると思うのです。しかし時間が経つにつれて病状はますます悪化し、いつ身体が麻痺してもおかしくない状態に陥ります。病気というこの試練を彼女はどう乗り越えるのでしょう? そして最後にどうやって喜びを得るのでしょう? 『苦しみから喜びを』をご覧になり、その答えを見つけてください。