終わりの日の働きとは、すべての人をその性質に応じて区分し、神の経営(救いの)計画を締めくくることである。時が近づき、神の日が来たからである。神の国に入る人すべて、すなわち神に最後の最後まで忠実な人すべてを、神は神自身の時代に連れて行く。しかし、神自身の時代が来る前は、神の働きは人間の行いを観察したり、人間の生活について調べたりすることではなく、人間の不服従を裁くことである。神の玉座の前に来る人すべてを、神は清めなければならないからである。今日まで神の足跡に従ってきた人はすべて神の玉座の前に来る人であり、これゆえに、最終段階の神の働きを受け入れる人の一人ひとりは神の清めの対象である。言い換えれば、最終段階における神の働きを受け入れる人は誰もが、神の裁きの対象なのである。
全能神のお現れとお働きは、宗教界で長年主を信じる人々は主イエスがすでに再来されたとわかりました。彼らは全能神が主イエスの再来であることを証ししました。従って、すべて全能神の終わりの日のお働きを受けました。
2020年12月29日火曜日
キリスト教と全能神教会の違いは何か
2020年12月23日水曜日
すべては神の言葉が達成する
神はそれぞれの時代において言葉を語り、働きをする。そして神は異なる時代において異なる言葉を話す。神は規則に従わず、同じ働きを繰り返さず、過去の事柄への懐旧の念を抱かない。神は常に新しく、古さとは無縁であり、毎日、新しい言葉を話す。あなたは今日従うべきことに従うべきである。それが人の責任であり本分である。現在における神の光と言葉を軸として実践することが不可欠である。神は規則に従わず、神の知恵や全能性を明らかにするために多くの異なる視点から話すことができる。神が霊の視点から話すか、人の視点から話すか、あるいは第三者の視点から話すかは問題ではない。神は常に神であり、人の視点から話すので神は神ではないと言うことはできない。神が様々な側面から話す結果、一部の人に観念が生まれた。そのような人は神について何の認識ももっておらず、神の働きについても何の認識もない。神が常に一つの視点から話せば、人は神に関して規則を定めないであろうか。人がそのように振舞うことを神が許すことができるであろうか。神がどの視点から話すにせよ、神にはそうする目的がある。もし、神が常に霊の視点から話したなら、あなたは神と関わりをもつことができるであろうか。それゆえ、神は時おり第三者の立場で語り、あなたに言葉を与え、あなたを現実性へと導く。神が行なう万事が適切である。要するに、すべては神になされているのであり、あなたはこのことを疑うべきではない。神は神であり、それゆえ、どの視点から話しても、神は常に神である。これは不変の真理である。どのように働きをしても、神は依然として神であり、神の本質は変わることがない。ペテロは深く神を愛し、神の心に叶う人であったが、神はペテロを主あるいはキリストとして証ししなかった。なぜなら、存在するものの本質は、それ自体であり、決して変わることはできないからである。働きにおいて、神は規則に従うのでなく、働きを効果的にし、人の神についての認識を深めるために種々の方法を用いる。神が働きをする方法のすべてが、人が神を知るのを助け、そしてそれは人を完全にするためである。神がどのような働きの方法を用いても、それぞれが人を作り上げ完全にするためである。神が働きをする方法のうちの一つが非常に長い時間続いたかもしれないが、それは人の神への信仰を強化するためである。したがって、あなたがたの心には疑いがあってはならない。これらはすべて神の働きの過程であり、あなたがたはそれらに従わなければならない。
2020年12月20日日曜日
救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た
2020年12月19日土曜日
真理とは何か
参考聖書箇所:
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハネによる福音書 1:1)
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。……めぐみとまこととに満ちてい。」(ヨハネによる福音書 1:14)
「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネによる福音書 14:6)
「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」(ヨハネによる福音書 17:17)
関連する神の言葉:
神自身がいのちであり、真理であり、神のいのちと真理は共存している。真理を得られない者がいのちを得ることは決してない。真理による導き、支え、施しがなければ、あなたは文字と教義、そして何より死しか得られない。神のいのちは常に存在し、神の真理といのちは共存する。真理の源を見つけられなければ、いのちの糧は得られない。いのちの施しを得られないなら、真理を一切得られないことは間違いなく、ゆえに想像と観念を除けば、あなたの全身はただの肉、臭い肉でしかない。書物の言葉がいのちに数えられることはなく、歴史の記録が真理として敬われることはなく、過去の規則が神によって今語られている言葉の記録になることはないと知りなさい。神が地上に来て、人の間で生きているときに表わすものだけが真理であり、いのちであり、神の旨であり、神が現在働く方法である。『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より引用
2020年12月13日日曜日
日々の神の御言葉「神の働き、神の性質、そして神自身 2」抜粋308
2020年12月9日水曜日
神様に聞いていただく3つの祈り方
兄弟姉妹の皆さん:
主にある平安がありますように。私たちクリスチャンにとって、祈りは神様との正常な関係を築くために重要です。特に朝夕の祈りは重要です。ですから、どのように祈るかを学ぶことは非常に重要なのです。けれども多くの兄弟姉妹が戸惑いを感じます。私たちは朝晩毎日祈り、食前の感謝と食後の感謝、集会でも祈ります。祈るときにはいつでも、主に多くを語り、長時間祈ります。けれども、あたかも神様はそこにはおられないかのようにいつも感じてしまいます。祈りながら、まるで独り言をいっているかのように感じ、心に平安や喜びを感じることができません。なぜ神様は私たちの祈りを聞いて下さらないのでしょうか。神様に称賛していただけるように祈るにはどうしたら良いのでしょうか。
実は、神様が私たちの祈りを聞いて下さらない理由が2~3あります。私が理解しているところをみなさんと分かち合いたいと思います。
第1に、私たちは心から神様に祈っているかどうかということです。
主イエスは言われました。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。…父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。」(ヨハネによる福音書 4:23)神様の御言葉から、神様の意図に沿った、神様を礼拝する祈りでなくてはならないことが分かります。神様が最も重要視するのは、私たちには神様の前に誠実な心があるかということ、そして誠実に真実を語るかどうかということです。神様を敬い、誠実な心で祈る限り、神様は私たちの祈りを受け入れて下さいます。けれども私たちはしばしば、神様の前に静まって真心で祈ることができません。唇は動いていても、心は家族や仕事など、あれこれ心配事で一杯です。唇が動くだけで心は動かない時もあります。誠実な心になれず、ただお決まりの行為を繰り返し、深く考えずにただ祈ります。しばしば威厳を感じさせるような、もったいぶった空虚な言葉を語り、単に聞こえの良い言葉やあまり意味のない言葉を使って神様を欺こうとします。例えば、親や仕事を主より愛しているにもかかわらず、祈るときには、「ああ主よ、あなたを愛しています。全てを投げ捨てて心からあなたに尽くします。」などと祈ったりします。家族に嫌なことが起これば、否定的な気持ちになり、主に不平を言います。それでも祈る時には、主に感謝の言葉を述べて賛美の言葉を述べるのです・・・。基本的に祈りの中では、誠実でなく、ただ大それた空しい言葉を使い、偽りの言葉を使い、形だけのものであったり、聞こえの良い言葉を並べて神様の前に自分を偽ったりするのであればその人は神様を欺いているのです。神様は誠実でない祈りは聞かれません。
2020年12月2日水曜日
全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「正しい道に戻る」
2020年12月1日火曜日
全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「苦しみから喜びを」日本語吹き替え
鍾心銘(チョン・シンミン)は教会の指導者で、本分のためなら苦しみに耐えることができ、良心と責任感を兼ね備えています。腰に問題を抱えていますが、痛みに負けず本分を尽くし続けます。しかし病状は悪化し、検査の結果、脊椎の四番目と五番目がヘルニアに冒されていると判明します。すぐに治療を受けなければ、寝たきりになるかもしれません。彼女は少し不安を覚えますが、この病状は神の許しを得て生じたもので、神は自分に試練を与え、自分の信仰と献身を試しているのだと信じます。そして治療に協力して本分を尽くし続ける限り、神はきっと守ってくださると思うのです。しかし時間が経つにつれて病状はますます悪化し、いつ身体が麻痺してもおかしくない状態に陥ります。病気というこの試練を彼女はどう乗り越えるのでしょう? そして最後にどうやって喜びを得るのでしょう? 『苦しみから喜びを』をご覧になり、その答えを見つけてください。
2020年11月29日日曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「素質の向上は神の救いを授かるためである」抜粋447
2020年11月28日土曜日
2020年11月19日木曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖書について(1)」抜粋265
2020年11月13日金曜日
全能神教会 | 神への信仰が真実であれば、頻繁に神の労りを与えられる
ニネベの人々に対する神の心の変化には、躊躇や曖昧さが一切含まれていなかった。むしろ、その変化は純粋な怒りから、純粋な寛容さへの変化であった。これが神の本質の真の明示である。神は、業に関して優柔不断であることや躊躇することが決して無い。神の業の根底にある原理と目的はすべて明白かつ明瞭であり、純粋で完璧であり、その中に策略や陰謀は一切潜んでいない。つまり、神の本質には、闇や邪悪が一切含まれていない。神はニネベの人々の悪の行いが神の目に留まったため、ニネベの人々に対して怒ったが、この時、神の怒りは神の本質に由来するものであった。しかし、神の怒りが消え、ニネベの人々に再び寛容さが与えられた時に神が明示したのも、神自身の本質であった。この変化は、すべて人間の神に対する姿勢の変化に起因するものであった。この変化の間、侵害を許さない神の性質も、神の寛容な本質も、神の愛と憐れみに満ちた本質も変わることが無かった。人々が邪悪な行動を取ったり、神を侵害したりした場合、神はその人々に神の怒りを伝える。人々が真に悔い改めた場合、神の心は変化し、神の怒りは静まる。人々が神に対して頑なに反抗を続けた場合、神の怒りは静まることが無い。神の怒りは徐々にこうした人々を侵し、最終的に人々は滅びを迎える。これが神の性質の本質である。神が示しているのが怒りであれ、憐れみと慈愛であれ、人間の心底にある神に対する行動と姿勢が、神の性質の明示により何が現されるかを左右する。神がある者に対して継続して怒っている場合、その者の心は間違い無く神に反抗している。その者は決して悔い改めず、神の前でひれ伏すこともなく、神に対して真の信仰を持つこともなかったため、その者は決して神の憐れみと寛容さを得ることはできない。ある者が神の労りや憐れみ、寛容さを頻繁に与えられている場合、その者には間違い無く神に対する真の信仰があり、その者の心は神に反抗していない。その者はしばしば神の前で正直に悔い改めるので、しばしば神の鍛錬がその者にくだったとしても、その者に神の怒りがくだることは無い。
2020年11月8日日曜日
全能神教会 | 神は、ニネベの人々の心の底からの真摯な悔い改めを確認した
ヤーウェの警告に対するニネベとソドムの反応の明らかな相違点
滅びる、とは何を意味するであろうか。言葉通りに解釈すれば、消滅するということである。しかし、どのようにして消滅するであろうか。一体誰が町全体を滅びさせることができようか。当然、そのようなことは人間には不可能である。ニネベの人々は愚かではなかったので、この宣告を聞いてすぐに、その旨を理解した。ニネベの人々は、その宣告が神から伝えられたものであること、神が業を行うつもりであること、自分達の邪悪さがヤーウェ神の怒りに触れ、その怒りが自分達に対するもので、程なくしてニネベの町も自分達も滅ぼされるであろうことを理解した。ヤーウェ神の警告に対し、ニネベの人々はどのように行動したであろうか。聖書では、王から一般人まで、ニネベの人々の反応が詳細に記載されている。聖句には、「そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。また王とその大臣の布告をもって、ニネベ中にふれさせて言った、『人も獣も牛も羊もみな、何をも味わってはならない。物を食い、水を飲んではならない。人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。…』とある。
2020年11月7日土曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「働きを理解しなさい――混乱したまま付き従ってはならない」抜粋443
2020年11月1日日曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「教会生活と実生活についての議論」抜粋436
2020年10月26日月曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「真理を追い求めることでのみ、性質の変化を成し遂げられる」抜粋556
2020年10月21日水曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「あなたは神への忠誠を保たなければならない」抜粋471
2020年10月10日土曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「キリストの初めの言葉:第三十章」抜粋387
兄弟たちよ、目覚めなさい! 姉妹たちよ、目覚めなさい! わたしの日は遅れることはない。時は命であり、時を取り戻すことは命を救うことだ。その時はもう遠くない。大学の入学試験に落ちたなら、勉強して何度でも受け直すことができる。だがわたしの日には、これ以上の遅れは許されない。覚えておきなさい。もう一度言う、覚えておきなさい。わたしはこうした善き言葉で、あなたに強く求める。あなたがたの目の前でこの世の終わりが始まり、大きな災害が急速に迫っている。あなたがたにとって、大切なのはいのちか、それとも寝ること、食べること、飲むこと、着ることなのか。そうしたものを比較し吟味する時が来たのだ。これ以上疑っていてはならず、確信することを避けてはならない。
2020年9月30日水曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「神を愛することだけが本当に神を信じることである」抜粋498
これらの試練は、人々の心の中のどのような状態に狙いを定めているのだろう。それらは、神に満足してもらうことのできない人間の反抗的性質を対象としている。人々の心の中には汚れたものや偽善的なものがたくさんある。だから神はそれらを清めるために試みに遭わせるのである。だがもし今日、あなたが神に満足してもらうことができれば、将来の試練はあなたを全き者とするためのものとなる。今日、あなたが神を満足させることができなければ、将来の試練はあなたを誘惑し、あなたは無意識のうちに倒れてしまう。その時、あなたは自分自身を助けることはできないだろう。それはあなたが神の働きについていくことができず、本当の背丈を持っていないからである。そこで、あなたが将来しっかり立っていることができ、神にさらに満足してもらい、最後の最後まで神に従うことを望むなら、今日、あなたは強い基礎を構築し、すべてのことにおいて真理を実践することによって神を満足させ、神の心を心に留めておかなければならない。あなたがいつもこのように実践していれば、あなたの中に基礎ができ、神はあなたに神を愛する心を生じさせ、あなたに信仰を与えるだろう。いつか、試練が本当にあなたに降りかかった時、あなたは多分、多少の痛みに苦しみ、ある程度まで不当に扱われていると感じ、死ぬかと思うほ