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2020年12月30日水曜日

神への祈りは、この三つの点を理解することがとても重要だ

 兄弟姉妹の皆さん:

主にある平安がありますように。私たちクリスチャンにとって、祈りは神様との正常な関係を築くために重要です。特に朝夕の祈りは重要です。ですから、どのように祈るかを学ぶことは非常に重要なのです。けれども多くの兄弟姉妹が戸惑いを感じます。私たちは朝晩毎日祈り、食前の感謝と食後の感謝、集会でも祈ります。祈るときにはいつでも、主に多くを語り、長時間祈ります。けれども、あたかも神様はそこにはおられないかのようにいつも感じてしまいます。祈りながら、まるで独り言をいっているかのように感じ、心に平安や喜びを感じることができません。なぜ神様は私たちの祈りを聞いて下さらないのでしょうか。神様に称賛していただけるように祈るにはどうしたら良いのでしょうか。

実は、神様が私たちの祈りを聞いて下さらない理由が2~3あります。私が理解しているところをみなさんと分かち合いたいと思います。

2020年12月28日月曜日

真の祈りの効果

正直に歩み

欺きを除くため祈れ

己を清めるために祈れ

祈り 神に触れられよ

さすればあなたの性質は変わるだろう

祈るにつれ人の性質は変わる

霊に触れられるにつれ

彼らはより従い

さらに積極的になるだろう

そして真の祈りで

彼らの心は次第に清められるだろう

2020年12月9日水曜日

神様に聞いていただく3つの祈り方

兄弟姉妹の皆さん:

 主にある平安がありますように。私たちクリスチャンにとって、祈りは神様との正常な関係を築くために重要です。特に朝夕の祈りは重要です。ですから、どのように祈るかを学ぶことは非常に重要なのです。けれども多くの兄弟姉妹が戸惑いを感じます。私たちは朝晩毎日祈り、食前の感謝と食後の感謝、集会でも祈ります。祈るときにはいつでも、主に多くを語り、長時間祈ります。けれども、あたかも神様はそこにはおられないかのようにいつも感じてしまいます。祈りながら、まるで独り言をいっているかのように感じ、心に平安や喜びを感じることができません。なぜ神様は私たちの祈りを聞いて下さらないのでしょうか。神様に称賛していただけるように祈るにはどうしたら良いのでしょうか。

 実は、神様が私たちの祈りを聞いて下さらない理由が2~3あります。私が理解しているところをみなさんと分かち合いたいと思います。

第1に、私たちは心から神様に祈っているかどうかということです。

 主イエスは言われました。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。…父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。」(ヨハネによる福音書 4:23)神様の御言葉から、神様の意図に沿った、神様を礼拝する祈りでなくてはならないことが分かります。神様が最も重要視するのは、私たちには神様の前に誠実な心があるかということ、そして誠実に真実を語るかどうかということです。神様を敬い、誠実な心で祈る限り、神様は私たちの祈りを受け入れて下さいます。けれども私たちはしばしば、神様の前に静まって真心で祈ることができません。唇は動いていても、心は家族や仕事など、あれこれ心配事で一杯です。唇が動くだけで心は動かない時もあります。誠実な心になれず、ただお決まりの行為を繰り返し、深く考えずにただ祈ります。しばしば威厳を感じさせるような、もったいぶった空虚な言葉を語り、単に聞こえの良い言葉やあまり意味のない言葉を使って神様を欺こうとします。例えば、親や仕事を主より愛しているにもかかわらず、祈るときには、「ああ主よ、あなたを愛しています。全てを投げ捨てて心からあなたに尽くします。」などと祈ったりします。家族に嫌なことが起これば、否定的な気持ちになり、主に不平を言います。それでも祈る時には、主に感謝の言葉を述べて賛美の言葉を述べるのです・・・。基本的に祈りの中では、誠実でなく、ただ大それた空しい言葉を使い、偽りの言葉を使い、形だけのものであったり、聞こえの良い言葉を並べて神様の前に自分を偽ったりするのであればその人は神様を欺いているのです。神様は誠実でない祈りは聞かれません。

2020年11月12日木曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「働きと入ること(2)」抜粋458


 人が働くのは、神の旨を満足させ、神の心にかなう人々を残らず神の前に導き、人間を神のもとへ連れ出し、聖霊の働きと神の導きを人間にもたらし、よって神の働きの成果を完全なものにするためである。したがって、働きの本質を徹底的に理解することが必須なのである。神に用いられる者として、すべての人が神のために働く価値をもつ。つまり、誰もが聖霊に用いられる機会を有しているのである。しかし、認識すべき点がひとつある。すなわち、神から託された働きを行う時、人間には神に用いられる機会が与えられてきたが、人間の言うことや知っていることが、人間の霊的背丈とは限らない、ということである。あなたがたにできるのは、働きの過程で自分の欠点をよりよく知り、聖霊からのより偉大な啓きを自分のものにすることだけである。そうすることで、自分の働きの過程において、よりよい入りを得られるのである。神から来る導きを自分の入りと考えるなら、そして自分にもともと備わっている何かと考えるなら、人間の霊的背丈が成長する可能性はない。聖霊が人の中で働かせる啓きは、その人が正常な状態の時に生じる。そのような時、人々は自分の受け取る啓きを、しばしば自分の実際の霊的背丈だと勘違いする。

2020年11月8日日曜日

全能神教会 | 神は、ニネベの人々の心の底からの真摯な悔い改めを確認した

  ヤーウェの警告に対するニネベとソドムの反応の明らかな相違点

 滅びる、とは何を意味するであろうか。言葉通りに解釈すれば、消滅するということである。しかし、どのようにして消滅するであろうか。一体誰が町全体を滅びさせることができようか。当然、そのようなことは人間には不可能である。ニネベの人々は愚かではなかったので、この宣告を聞いてすぐに、その旨を理解した。ニネベの人々は、その宣告が神から伝えられたものであること、神が業を行うつもりであること、自分達の邪悪さがヤーウェ神の怒りに触れ、その怒りが自分達に対するもので、程なくしてニネベの町も自分達も滅ぼされるであろうことを理解した。ヤーウェ神の警告に対し、ニネベの人々はどのように行動したであろうか。聖書では、王から一般人まで、ニネベの人々の反応が詳細に記載されている。聖句には、「そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。また王とその大臣の布告をもって、ニネベ中にふれさせて言った、『人も獣も牛も羊もみな、何をも味わってはならない。物を食い、水を飲んではならない。人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。…』とある。

2020年10月29日木曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖霊の働きとサタンの働き」抜粋446


 聖霊の働きは積極的な進歩だが、一方でサタンの働きは後退、消極、反逆、神への反抗、神に対する信仰の喪失、そして賛美歌を歌うことさえ望まず、本分を尽くせなくなるほど弱ることである。聖霊の啓きから生じるものはどれも極めて自然であり、あなたに強制されるものではない。それに従えば安息を得るし、従わなければ後に非難される。聖霊の啓きがあれば、あなたが行なう一切のことは干渉や拘束を受けず、あなたは自由にされ、行動における実践の道があり、何の制約も受けることなく、神の旨にそって行動できるようになる。サタンの働きは多くの事柄においてあなたに干渉し、あなたが祈りたくないようにさせ、神の言葉を飲み食いできないほど怠惰にさせるとともに、教会生活を送る気をなくさせ、あなたを霊的生活から引き離す。聖霊の働きはあなたの日常生活に干渉せず、正常な霊的生活にも干渉しない。

2020年10月27日火曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「神は自身の心にかなう者を完全にする」抜粋545



 今、神は一種の人々の集団、つまり神と協力することに努め、神の働きに従うことができ、神が語る言葉は真実だと信じ、神の要求を実践できる人から成る集団を獲得することを望んでいる。このような人は、心の中に真の認識を有している者たちであり、完全にされることができ、必ずや完全への道を歩める者たちである。完全にされることができない者とは、神の働きをはっきり認識しない人、神の言葉を飲み食いしない人、神の言葉に注意を払わない人、心の中に神への愛がまったくない人である。受肉した神を疑い、受肉した神についていつも確信がなく、その言葉を決して真剣に扱わず、受肉した神を絶えず騙す者は、神に抵抗し、サタンに属する人であり、このような人を完全にする術はない。

2020年10月23日金曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「神の最新の働きを知り、神の歩みに従え」抜粋399




 聖霊の現在の言葉は聖霊の働きの動きであり、この期間に聖霊が絶えず人を啓くことこそ、聖霊の働きの動向である。では、今日における聖霊の働きの動向はどういったものか。それは民を神の現在の働きへと導くこと、正常な霊的生活へと導くことである。正常な霊的生活に入るにはいくつかの段階がある。

2020年10月17日土曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「神の前で心を静めることについて」抜粋420




神の実際の言葉を飲み食いすると同時に、神の言葉を熟考し、神の言葉について祈ることが、神の前で静まることの第一歩である。神の前で真に静まることができるなら、聖霊の啓きと照らしがあなたと共にあるだろう。すべての霊的生活は、神の前で静まることによって達成される。聖霊によって感動することができるためには、まず祈りにおいて神の前で静まらなければならない。神の言葉を飲み食いする際に神の前で静まることによって、啓きと照らしを受け、神の言葉を真に理解することが可能になる。通常の黙想と交わりにおいて、また自分の心で神に近づく際、神の前で静まって初めて、あなたは神と本当に親しくなり、神の愛と神の働きに関する真の認識と、神の意図に対する本当の思慮深さが得られるのである。

2020年10月15日木曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「神の実際性に絶対的に服従できる者は真に神を愛する者である」抜粋489




実際性に関する認識と神の働きに関する明確な理解を得ることは、いずれも神の言葉に見られるものである。そして神が発する言葉を通じてでなければ、あなたは啓きを得られない。それゆえ、あなたは神の言葉をより多く備えるべきである。神の言葉に関する自分の認識を交わりの中で伝えなさい。そうすれば他の人たちを啓いて道を与えることができる。それが実践的な道である。神があなたのために環境を整える前に、あなたがた一人ひとりがまず神の言葉を備えなければならない。これは誰もが行なうべきことであり、緊急の優先事項である。

2020年10月12日月曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「働きと入ること(3)」抜粋308




人間による入りの過程において、生活は常に退屈であり、祈り神の言葉の飲み食い、あるいは集会の開催など、霊的生活の単調な要素で満たされている。そのため、人々は神への信仰が何も楽しみをもたらさないと絶えず感じる。そうした霊的活動は常に人間本来の性質に基づいて行なわれるが、その性質はサタンにより堕落させられている。人間は聖霊の啓きを時折授かることができるものの、人間本来の考え、性質、生活様式、慣習が依然として内部に根づいているので、人間の本性は変わらないままである。人々が行なう迷信的な行為は、神が最も忌み嫌うものである。しかし多くの人は、そうした迷信的行為が神によって定められたものだと考え、それを捨て去ることができず、今日に至っても完全に捨てられずにいる。

2020年10月7日水曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「ペテロの経験──刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋525




神は、自身の業により刑罰と裁きが要求されているため、そしてそれ以上に、刑罰と裁きが人間に必要であるため、刑罰と裁きを行う。人間は刑罰と裁きを受ける必要があり、その後に初めて神への愛を実現する事が出来る。現在、あなたがたは完全に確信しているが、些細な挫折があると、あなたがたは問題に見舞われる。あなたがたの背丈は小さすぎるので、一層深い認識を得るために、そうした刑罰と裁きを一層多く経験する必要がある。現在、あなたがたはある程度神を敬い、畏れており、神が真の神であることを知っているが、神に対する大きな愛が無く、いわんや清い愛に達していることは無い。あなたがたの認識は過度に表層的であり、あなたがたの背丈はまだ不十分である。あなたがたが、ある環境に真に直面する時、あなたがたは依然として証しに立ったことが無く、あなたがたが成長に積極的であることは極めて少なく、実践する方法を全く知らない。殆どの者が消極的かつ非活動的である。そうした者は心の中で密かに神を愛するが、実践する術が無く、自分達の目標が何であるかを明瞭に理解していない。完全にされた者は正常な人間性だけでなく、良心の判断を超え、良心的基準を超える真理を備えている。そうした者は自分の良心で神の愛に報いるのみならず、それ以上に、神を知り、神が愛しいこと、人間が愛

2020年10月4日日曜日

全能神教会 | キリスト教の歌「神を満足させるほど更に祝福される」歌詞付き




神を満足させればさせるほど

神はあなたを祝福し

神に対するあなたの愛は強くなるそして、あなたは信仰をもち

神を満足させればさせるほど神はあなたを祝福し

神に対するあなたの愛は強くなる

そして、あなたは信仰と決意をもち

神を愛することに生涯を捧げることほど価値や意義のあるものはないと思うだろう

神を愛しさえすれば悲しみがなくなるとも言える

自分の肉が弱り多くの実際の問題に悩むことがあっても

その間あなたは心から神にすがり

2020年8月30日日曜日

全能神教会 | 質問2:

質問2.主イエスが言われました。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネによる福音書 14:2-3)主は復活して天に戻り場所を用意するなら、私たちの場所は天にあるということでしょう?主が戻られたなら、私たちは天に引き上げられ、空に昇り主にお会いできるということでは?あなた方の言うように主が戻り、受肉して話し働いておられるなら、どうやって天国に引き上げてくださるのか?天国は地上にあるんですか?それとも天に?


解答: 天国が天にあるか地上にあるかは多くの人が抱く疑問ですので、今日お話ししたいと思います。まず天国とは何か、確認しておきましょうか。天国と言う時、通常は神を指していることは誰でも知っています。つまり天国とは神様の御国を指し、神様が権力を持つキリストの御国のこと、そうですよね?神様の御国は地上にあるのか天にあるのか、主が祈りの中でおっしゃっています。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイによる福音書 6:9-10) 

2020年8月20日木曜日

全能神教会 | 質問3:

質問3.聖書にあります。「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう。」(使徒行伝 1:11)主が復活されたあと天に上がったのは霊体で、その霊体が雲に乗って戻られるはずです。神が終わりの日の働きのため再び受肉されるなど、聖書と矛盾しています。牧師たちは主が受肉して再臨したという証しは嘘だと言っている。だから、主が受肉して戻るなんて証しは、私は受け入れられない。我々はただ主が雲に乗って降りて来られるのを待っていればいい。

解答: 主が受肉して再臨されるはずがない、本当にそうですか?このことは聖書にも明記されています。あなたは見つけ

2020年7月17日金曜日

全能神教会 | この声はどこから聞こえてくるのか

この声はどこから聞こえてくるのか

シーイン
私は信心深い家に生まれ、親戚には伝道師も多くいます。私は幼い頃から両親にならって主を信じており、大人になってからも主に祈り、こう語りかけました。もし主を信じる夫に巡り合えるなら、夫とともにこの身を捧げて神に仕えましょう。そして私は結婚し、夫は本当に主を信じていたので、実際の職業として熱心な伝道者となりました。夫が主のために安心して働け、主の御前にあって責任を果たせるよう、私は積極的に家庭を切り盛りする役を負いました。それは多少難しく疲れる仕事ではありましたが、主という支えがあった私は、どんな苦しみに耐えようとも心は喜びと平安に満たされていました。
この声はどこから聞こえてくるのか

2020年7月15日水曜日

全能神教会 | 聴きなさい!これは誰の言葉?


教会の牧師として、霊的な貧困化と説教することが何もないことほどつらいことはありません。集会に来る兄弟姉妹がどんどん減っていくのを見て、私は無力感を感じ、主の前に行き何度も繰り返し真剣に祈り、兄弟姉妹の信仰を強めてくださいとお願いしました。しかし教会の荒廃化は一向に改善せず、私ですら弱ってネガティブに生きるようになっていきました。
ある日、自宅で仕事をしていると、王(ワン)兄弟と林(リン)兄弟が突然やって来たので、喜んで迎え入れました。挨拶を交わした後、王兄弟が「周姉妹、現在の霊的な調子はどうですか」と言いました。私はため息をついて答えました。
「それを言わないで。今、私は霊的に弱っていて、説教で何も話すことがないの。兄弟姉妹もみなネガティブで気力がなくなっているわ。もう教会にはほとんど誰も来ないのよ」
林兄弟が訊きます。
「周姉妹、なぜ説教で話すことがないのか、なぜ教会にほと