全能神のお現れとお働きは、宗教界で長年主を信じる人々は主イエスがすでに再来されたとわかりました。彼らは全能神が主イエスの再来であることを証ししました。従って、すべて全能神の終わりの日のお働きを受けました。
2020年12月27日日曜日
クリスチャン映画「福音の使者」 神の福音を伝えることはクリスチャンの責任だ 予告編 日本語吹き替え
2020年12月5日土曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「受肉の奥義(4)」抜粋77
2020年12月1日火曜日
全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「苦しみから喜びを」日本語吹き替え
鍾心銘(チョン・シンミン)は教会の指導者で、本分のためなら苦しみに耐えることができ、良心と責任感を兼ね備えています。腰に問題を抱えていますが、痛みに負けず本分を尽くし続けます。しかし病状は悪化し、検査の結果、脊椎の四番目と五番目がヘルニアに冒されていると判明します。すぐに治療を受けなければ、寝たきりになるかもしれません。彼女は少し不安を覚えますが、この病状は神の許しを得て生じたもので、神は自分に試練を与え、自分の信仰と献身を試しているのだと信じます。そして治療に協力して本分を尽くし続ける限り、神はきっと守ってくださると思うのです。しかし時間が経つにつれて病状はますます悪化し、いつ身体が麻痺してもおかしくない状態に陥ります。病気というこの試練を彼女はどう乗り越えるのでしょう? そして最後にどうやって喜びを得るのでしょう? 『苦しみから喜びを』をご覧になり、その答えを見つけてください。
2020年11月26日木曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「地位の祝福は脇に置き、人に救いをもたらす神の心意を理解するべきである」抜粋84
2020年11月18日水曜日
全能神教会 | 中国共産党政府と宗教界の邪悪な本質とは何でしょうか。
「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは……」(ヨハネの黙示録12:9)
2020年11月13日金曜日
全能神教会 | 神への信仰が真実であれば、頻繁に神の労りを与えられる
ニネベの人々に対する神の心の変化には、躊躇や曖昧さが一切含まれていなかった。むしろ、その変化は純粋な怒りから、純粋な寛容さへの変化であった。これが神の本質の真の明示である。神は、業に関して優柔不断であることや躊躇することが決して無い。神の業の根底にある原理と目的はすべて明白かつ明瞭であり、純粋で完璧であり、その中に策略や陰謀は一切潜んでいない。つまり、神の本質には、闇や邪悪が一切含まれていない。神はニネベの人々の悪の行いが神の目に留まったため、ニネベの人々に対して怒ったが、この時、神の怒りは神の本質に由来するものであった。しかし、神の怒りが消え、ニネベの人々に再び寛容さが与えられた時に神が明示したのも、神自身の本質であった。この変化は、すべて人間の神に対する姿勢の変化に起因するものであった。この変化の間、侵害を許さない神の性質も、神の寛容な本質も、神の愛と憐れみに満ちた本質も変わることが無かった。人々が邪悪な行動を取ったり、神を侵害したりした場合、神はその人々に神の怒りを伝える。人々が真に悔い改めた場合、神の心は変化し、神の怒りは静まる。人々が神に対して頑なに反抗を続けた場合、神の怒りは静まることが無い。神の怒りは徐々にこうした人々を侵し、最終的に人々は滅びを迎える。これが神の性質の本質である。神が示しているのが怒りであれ、憐れみと慈愛であれ、人間の心底にある神に対する行動と姿勢が、神の性質の明示により何が現されるかを左右する。神がある者に対して継続して怒っている場合、その者の心は間違い無く神に反抗している。その者は決して悔い改めず、神の前でひれ伏すこともなく、神に対して真の信仰を持つこともなかったため、その者は決して神の憐れみと寛容さを得ることはできない。ある者が神の労りや憐れみ、寛容さを頻繁に与えられている場合、その者には間違い無く神に対する真の信仰があり、その者の心は神に反抗していない。その者はしばしば神の前で正直に悔い改めるので、しばしば神の鍛錬がその者にくだったとしても、その者に神の怒りがくだることは無い。
2020年11月10日火曜日
全能神教会 | なぜ中国共産党政府は全能神と全能神教会を狂気のごとく弾圧し、残虐にも迫害するのでしょうか。
「この時代は邪悪な時代である。」(ルカによる福音書 11:29) 「全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。 」 (ヨハネの第一の手紙 5:19) 「光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。」(ヨハネによる福音書 3:19-20 ) 「もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。」( ヨハネによる福音書 15:18)
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。」(イザヤ書 14:12-14) 「さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。 ……龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。」(ヨハネの黙示録 12:7-9、13)
関連する神の言葉
2020年10月20日火曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「征服の働きの内幕(4)」抜粋92
2020年10月19日月曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「受肉の奥義(4)」抜粋27
2020年10月17日土曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「神の前で心を静めることについて」抜粋420
2020年10月7日水曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「ペテロの経験──刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋525
神は、自身の業により刑罰と裁きが要求されているため、そしてそれ以上に、刑罰と裁きが人間に必要であるため、刑罰と裁きを行う。人間は刑罰と裁きを受ける必要があり、その後に初めて神への愛を実現する事が出来る。現在、あなたがたは完全に確信しているが、些細な挫折があると、あなたがたは問題に見舞われる。あなたがたの背丈は小さすぎるので、一層深い認識を得るために、そうした刑罰と裁きを一層多く経験する必要がある。現在、あなたがたはある程度神を敬い、畏れており、神が真の神であることを知っているが、神に対する大きな愛が無く、いわんや清い愛に達していることは無い。あなたがたの認識は過度に表層的であり、あなたがたの背丈はまだ不十分である。あなたがたが、ある環境に真に直面する時、あなたがたは依然として証しに立ったことが無く、あなたがたが成長に積極的であることは極めて少なく、実践する方法を全く知らない。殆どの者が消極的かつ非活動的である。そうした者は心の中で密かに神を愛するが、実践する術が無く、自分達の目標が何であるかを明瞭に理解していない。完全にされた者は正常な人間性だけでなく、良心の判断を超え、良心的基準を超える真理を備えている。そうした者は自分の良心で神の愛に報いるのみならず、それ以上に、神を知り、神が愛しいこと、人間が愛