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2020年12月24日木曜日

全能神は再臨した主イエスである

関連する神の言葉

 ヤーウェの働きの後、人のあいだで神の働きを行うためにイエスは受肉した。イエスの働きは単独で実行されたのではなく、ヤーウェの働きの上に築かれた。それは律法の時代を神が終わらせた後の新しい時代のための働きであった。同様に、イエスの働きが終わった後、神は次の時代のためにさらに神の働きを続行した。神による経営(救い)全体はいつも前進しているからである。古い時代が過ぎると、新しい時代に置き換えられ、古い働きが完了すると、新しい働きが神の経営を続行する。今回の受肉はイエスの働きの完了に続く神の二回目の受肉である。もちろん、この受肉は単独で起こるのではなく、律法の時代と恵みの時代の後の第三段階の働きである。神の働きの新しい段階はそれぞれいつも新しい始まりと新しい時代をもたらす。そこで神の性質、神の働き方、神の働く場所、神の名にもそれに付随した変化がある。したがって、人にとっては、新しい時代の神の働きを受け入れるのが難しいのは無理もない。しかし、いかに人が反対しようと、それには関係なく、神はいつも自分の働きを行っており、いつも人類全体を前方に導いている。イエスが人の世に誕生した時、イエスは恵みの時代をもたらし、律法の時代を終わらせた。終わりの日において神はもう一度肉となり、今回人間の姿になった時、神は恵みの時代を終わらせ、神の国の時代をもたらした。神の二回目の受肉を受け入れる人々はすべて神の国の時代に導かれ、直接神の導きを受け入れることができるだろう。イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。『言葉は肉において現れる』の「序文」より引用

2020年11月28日土曜日

全能神教会 | キリストは真理をもって裁きの働きを行う

 終わりの日の働きとは、すべての人をその性質に応じて区分し、神の経営(救いの)計画を締めくくることである。時が近づき、神の日が来たからである。神の国に入る人すべて、すなわち神に最後の最後まで忠実な人すべてを、神は神自身の時代に連れて行く。しかし、神自身の時代が来る前は、神の働きは人間の行いを観察したり、人間の生活について調べたりすることではなく、人間の不服従を裁くことである。神の玉座の前に来る人すべてを、神は清めなければならないからである。今日まで神の足跡に従ってきた人はすべて神の玉座の前に来る人であり、これゆえに、最終段階の神の働きを受け入れる人の一人ひとりは神の清めの対象である。言い換えれば、最終段階における神の働きを受け入れる人は誰もが、神の裁きの対象なのである。

2020年8月29日土曜日

全能神教会 | 質問1:

質問1.主イエスが中国に再臨され働きをされているというお話ですが、聖書の預言通りですので、私は信じます。聖書にはこう書かれています。「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書 24:27) でも私たちは主が終わりの日に再臨され、私たちを天の国に連れて行ってくださるか、少なくとも空中で神に会えるものと思っています。パウロも聖書の中で言っています。「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。」(テサロニケ人への第一の手紙 4:17) けれど、どうして主は聖書に書かれているように来られないのですか?一体終わりの日の全能神の裁きの働きというのは、私たちが天国に連れて行かれることとどう関係ありますか?

解答: 沢山の人が主が再臨されたとき、信者を大空に持ち上げてお会いになると信じていますが、それは主の言葉によるものではありません。それはパウロの言葉です。パウロの言葉が人間の考えからなのか、聖霊の啓きから来たものなのか、知るすべはありません。主イエスは再臨についてこう言われました。「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」(マタイによる福音書 24:36) 主が再臨されても誰も気づきません。神以外には分からないのです。たとえ天使

2020年8月28日金曜日

全能神教会 | キリスト教の歌「終わりの日のキリストを見捨てる者は永遠に罰を受けるだろう」歌詞付き




人々は神が語ることに気を留めないかもしれないが
イエスに従う聖徒全てに神は伝えたいことがある

イエスが雲に乗って降りてくるのを目にする時
それは義の太陽の公の現れである
あなたはイエスの降臨を見て
心躍らせるかもしれないが
それは地獄の罰を受ける時でもあると知るだろう
それは神の救いの計画の終わりを予告するものであり
神は善人に報いるが悪人には罰を与える
なぜなら  人々がしるしを見る前
すなわち真理の表現しかない時に
神の裁きは終わったから
終わったからである

2020年8月10日月曜日

全能神教会 | キリスト教徒生活の証し 2020「名声と富からの解放」日本語字幕



教会指導者である主人公は、本分のパートナーである夏姉妹が自分より真理の交わりが上手なのをみて嫉妬を覚えます。そして常に自分と夏姉妹を比較し、夏姉妹に負けるたび、否定的になり、いらだち、落ち込みます。そして神の御言葉の裁きと暴露によって評判や自分の利益、そして地位を求めることが間違いだと気づきます。評判や地位は、人を堕落させて束縛するためのサタンの手段であり、これにより自分が狭量で自分勝手で卑しい人間となり、まったく人間らしくない生き方をしていたことがはっきり自覚します。自らを嫌悪し、神に悔い改め、評判、利益、地位への欲望を捨て、地に足をつけて本分に取り組むようになった彼女は、自由と安らぎを得て、神の裁きと刑罰が人類への神の救済だということを真に経験します。

  以下から抜粋した素材を含む
 【ESO】

おすすめ:

2020年8月3日月曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「堕落した人類には受肉した神による救いの方が必要である」抜粋83



人間の肉体の堕落を裁くのには、受肉した神以上にふさわしいものはいない。もし神の霊が直接裁いたならば、それはすべてを含むものではないであろう。そのうえ、そうした働きは人間には受け入れがたいものだったろう。なぜなら、霊は人間と直接会うことができず、そのため効果は即座に見られるものでもない。まして、人間が神の侵しがたい性質をより明確に目にすることはできないであろう。もし受肉した神が人間の堕落を裁くなら、はじめてサタンを完全に打ち負かせる。受肉して普通の人間性をもった神は、直接人間の不義を裁くことができる。これが神本来の聖さ、すばらしさである。神だけが人間を裁く資格があり、その地位にいる。神には真理と義があるから、人間を裁くことができる。真理と義のない者には他人を裁くことができない。この働きが神の霊

2020年7月31日金曜日

全能神教会 | 救いを得るためにはどのように神の裁きと刑罰を経験するべきか。


関連する神の言葉

要約すると、神への信仰においてペテロの道を歩むとは、真理を追い求める道を歩むことであり、その道はまた真に自分自身を知り、自らの性質を変える道でもあります。ペテロの道を歩むことでのみ、人は神によって完全にされる道を進むのです。ペテロの道を正確に言ってどのように歩むのか、またそれをどのように実践に移すかをはっきり知らなければなりません。第一に、自分自身の意図や不適切な追求だけでなく、自分の家族や肉体にかかわるすべてのことさえも脇へのける必要があります。心から献身的であらねばなりません。つまり、神の御言葉に自分自身を完全に捧げ、神の御言葉を飲み食いすること、真理を探求すること、そして神の御言葉の中にある神の意図を探し求めることに集中し、すべてにおいて神の心を把握しようと努めなければなりません。それが最も根本的にして極めて重要な実践の方法です。ペテロが主イエスを見たあとに行なったのもそれであり、そのように実践することでのみ、人は最高の結果を得られます。神の御言葉への心からの献身はおもに、真理を探し求めること、神の御言葉の中にある神の心を探し求めること、神の心を把握することに集中すること、神の御言葉からさらなる真理を理解し獲得することです。神の御言葉を読むとき、ペテロは教義を理解することにも、さらには神学的な知識を得ることにさえ集中していませんでした。その代わりに真理を理解すること、神の心を把握すること、そして神の性質と愛らしさを認識することに心を砕いたのです。ペテロはまた、神の御言葉から人間の様々な堕落した状態を、また人間の堕落した本性や実際の欠点を認識しようと努め、それにより神が人間に課す要求のすべての側面を満たし、神を満足させました。ペテロは神の御言葉において数多くの正しい実践を行ないまし

2020年7月29日水曜日

全能神教会 | なぜ神は人々を裁き、罰しなければならないのか。


関連する神の言葉

イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了しただけで、人の贖罪のためのささげものとなり、人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかった。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。
『言葉は肉において現れる』の「序文」より

人が贖われる前、サタンの毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。サタンによる堕落を何千年も経た人間には、神に抵抗する性質が既に定着して存在していた。だから、人が贖わ

2020年7月28日火曜日

全能神教会 | 裁きとは何か。


関連する神の言葉

裁きの働きは神自身の働きであり、そのため当然ながら神が自ら行なわなければならない。それは神の代わりに人が行うことはできない。裁きとは真理を用いて人類を征服することなので、この働きを人のあいだで行うために神が受肉した姿で再び現れることは疑いもないことである。つまり、終わりの日においてキリストは真理を用いて世界各地の人々を教え、彼らにあらゆる真理を知らしめる。これが神の裁きの働きである。
『言葉は肉において現れる』の「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」より

「裁き」という言葉を出せば、ヤーウェがあらゆる場所に向けて語った言葉、イエスがパリサイ人に語った非難の言葉をあなたはたぶん思い浮かべるであろう。それらの言葉の厳し

2020年7月27日月曜日

全能神教会 | 終わりの日の神の裁きの働きを拒否する宗教界の帰結と結果


終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。あなたが終わりの日のキリストが与えるいのちの道を求めないのなら、あなたは決してイエスに良しと認めてもらうことはできず、天の国の門をくぐる資格を得ることはない。なぜなら、あなたは歴史の操り人形であり歴史に囚われた人だからだ。規則や文字に支配され、歴史に束縛される者は、決していのちを得ることはなく、永遠のいのちの道を得ることはない。なぜなら、彼らが持っているのは、玉座から流れるいのちの水ではなく、彼らが何千年もしがみついてきた汚水でしかないからだ。いのちの水を与えられない者は永遠に死体であり、サタンのおもちゃであり、地獄の子である。そのような者がどうして神に会うことができようか。あなたが過去にしがみつき、足踏みをしながら現状維持しようとし、現状を変え歴史を棄てようとしないなら、あなたは神に常に反することになるのではないか。神の働きの歩みは、押し寄せる波や轟く雷鳴のごとく広大で力強い。それでも、あなたは自分の愚に固執して何もしないまま、座して自滅を待っている。このままで、あなたが小羊の足跡に従う者だと見なされることはあろうか。あなたが神として固執するものが、常にあたらしく古びない神だと言えようか。あなたの黄ばんだ本の言葉があなたを新しい時代に運んでくれることがあろうか。神の働きの歩みをたどれるよう導いてくれようか。そして、それらがあなたを天国に引き上げられるだろうか。あなたの手につかんでいる物は、つかの間の慰めを与えられる文字でしかなく、いのちを与えられる真理ではない。あなたが読む言葉は、あなたの舌を肥やせるだけで、あなたが人の人生を知るうえで助けとなる知恵の言葉ではなく、ましてやあなたを完全にするように導いてくれる道などではない。この食い違いを見て、あなたはよく考えてみようとは思わないだろうか。そこに含まれる奥義を理解させてはくれないだろうか。あなたは、自分で自分を天国に引き上げ、神に会わせることができるのか。神が来なくても、あなたは自らを天国に引き上げ、神と共に家族の幸福を楽しむことができるのか。あなたは未だに夢を見ているのか。それなら、わたしは勧める。夢を見るのを止めよと。そして誰が今働いているのかを見よと。誰が今、終わりの日に人を救う働きをしているのかを見よと。そうしなければ、あなたは決して真理を得ることはなく、決していのちを得ることもない。
『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より

2020年7月24日金曜日

全能神教会 | ヨハネの黙示録で預言されたように、終わりの日の神の裁きの働きは大きな白い玉座の裁きである


さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテロの第一の手紙 4:17)

また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(ヨハネの黙示録20:11-15)


関連する神の言葉

2020年7月19日日曜日

全能神教会 | 賢明な乙女にはどのような恩恵が与えられるか。愚かな乙女は災のために朽ちるか。


関連する神の言葉

「聖霊の働きに従う」とは、今日の神の心を理解し、神の現在の要求に従って行動することができ、今日の神に従順で服従することができ、神の最新の言葉に従っていのちに入ることを意味する。このような人のみが聖霊の働きに従い、聖霊の流れの中にいる。そのような人々は神の賞賛を受け、神を見ることができるばかりでなく、神の最新の働きから神の性質を知ることができ、そして人の観念や不従順、人の本性と本質を神の最新の働きから知ることができる。さらに、奉仕の過程で自らの性質をだんだんと変えることができる。このような人々のみが神を得ることができ、真の道を本当に見つけた人々である。聖霊の働きにより排除される人々は、神の最新の働きに従うことができず、神の最新の働きに反逆する人々である。そのような人々が公然と神に反対するのは、神が新しい働きを為し、神の姿が彼らの観念にある神の姿と同じではないからである。その結果、公然と神に反対し、神を裁き、そのため神により嫌悪され、拒絶される。神の最新の働きについて認識を持つのは簡単ではないが、しかし意図的に神の働きに従い、神の働きを求めることができれば、人々は神を見、聖霊の最新の導きを得る機会を得るだろう。神の働きに意図的に反対する人々は、聖霊の啓きや神の導きを受けられない。そのため、神の最新の働きを受けることができるか否かは、神の恵みと、人々の追求と、彼らの意図にかかっている。