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2020年10月30日金曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「堕落した人類には受肉した神による救いの方が必要である」抜粋82


 受肉した神の働きは最も意義深い。それは働きについての語りであり、最終的に働きを終えるのは受肉した神であって、霊ではない。神はいつか地上に来て、人間に姿を見せ、誰一人も逃さず人を一人一人試みつつ、全人類を自ら裁くと信じている人々がいる。このように考える者は、この受肉の働きの段階を知らない。神は人間を一人一人裁きはしないし、一人ずつ試みもしない。それは裁きの働きではない。堕落はすべての人間に共通しているのではないか。人間の本質は、みな同じなのではないか。裁かれるのは人間の堕落した本質、サタンのせいで堕落した人間の本質、そして人間の罪全部である。

2020年8月14日金曜日

全能神教会 | 真理とは何か。聖書の知識と教義とは何か


「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネによる福音書 1:1)

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。…めぐみとまこととに満ちていた。」(ヨハネによる福音書 1:14)

「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネによる福音書 14:6)

「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。」(ヨハネによる福音書 17:17)

「イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。…こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えによって、神の言を無にしている。また、このような事をしばしばおこなっている」。」(マルコによる福音書 7:6-13)


関連する神の言葉

2020年7月21日火曜日

全能神教会 | 時代を通じて神によって使われた人々の真理と一致する言葉と神自身の言葉の違いは何か


関連する神の言葉

実際、真理とは、人生の格言の中でも最も現実に則しており、人類の全ての格言に勝るものなのだ。それは神が人間に要求すること、神が自ら為した業である。だから、人生の格言と呼ばれる。これは何かから要約された格言ではなく、また、偉人の有名な引用でもない。そのようなものではなく、これは天と地と万物の主から人間に告げたものであり、人間によって要約された言葉ではなく、神本来のいのちなのである。だからそれは、至高のいのちの格言と呼ばれるのだ。
『言葉は肉において現れる』の「神とその働きを知る者だけが神の心にかなう」より

あなたは真理の実際の範囲と、真理の範囲の外側にあるものを理解しなければなりません。