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2020年9月19日土曜日

全能神教会 | キリスト教会寸劇2019「戸を叩かれる主」神の羊は神の御声を聞き分ける 日本語吹き替え



本劇「戸を叩かれる主」では、終わりの日に主が御言葉によって私たちの心の戸を叩いてくださり、賢い乙女が神の御声を聞き、子羊と婚宴を共にするということが、どのように実現するかが明らかにされる。

チャン・ショウダオ牧師は日頃から主の再来を待ちわびていたが、信徒のチェンによる「主が既に再来された」という証を聞いても、「主は雲に乗って戻られるはずだ」と自分の観念や想像に頑なに執着し、真の道へ通じる心の戸を閉ざし続ける。しかし今回、チェンが主の再来に関する聖句を参照してチャン・ショウダオと議論し、チャン・ショウダオは聖書に、終わりの日に主は受肉して密かに再来し、新しい御言葉を語り人を清められた後、初めて公にお姿を表し、善に報い、悪を罰せられる、というような預言があることを学ぶ。また、「主が戸を叩かれる」ことの真の意味を理解し、主の再来をお迎えするには神の御声を聞くことが大切であると悟る。全能神の御言葉において神の御声を聞いた牧師は、ついに心の戸を開き、主の再来をお迎えする。


東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年9月13日日曜日

全能神教会 | クリスチャン映画「天国への危険な道」抜粋シーン(2) 受肉による神の再臨について、聖書にはその根拠があるのか



主の再臨を歓迎する人の多くは、聖書にある「神は雲に乗って降りてこられ、再臨される」という預言のみに重点を置き、主は肉において再臨なされるという預言を蔑ろにしています。彼らは、神が肉体をもって再臨されるという証はすべて偽りであると断言していますが、はたして彼らの見解と行いは聖書と合致しているでしょうか。受肉による主の再臨に関して、聖書では具体的にどのように預言されているのでしょうか。

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年9月12日土曜日

全能神教会 | キリスト教映画「敬虔の奥義:続編」抜粋シーン(1)主はどのように再臨されるか?



私たち信者は、主イエスが復活され、天国に上げられてから何世紀にもわたって救い主である彼の再臨を切に待ち望んでいます。主が再臨される際、復活したイエスの霊体が現れると多くの人々は信じています。しかしなぜ神様は、終わりの日において「人の子」として受肉され、お見えになったのでしょうか?全能神が言われます。「もし神が肉とならないなら、神は人の目に見えず、形のない霊のままである。人は肉の生き物で、人と神は二つの違った世界に属し、性質も異なっている。神の霊は人の肉とは相いれず、それらの間には何の関係も作ることはできない。さらに、人は霊になることはできない。それだから、神の霊は被造物の一つになって、神の本来の働きをしなければならない…」「肉になることによって初めて、神は言葉を直接すべての人の耳元に届け、その結果聞く耳のある人はすべて言葉を聞き、言葉による裁きの働きを受けることができる…」

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年9月7日月曜日

全能神教会 | キリスト教映画「終電に乗る」抜粋シーン(3 )主が再来される時の働きの方式




終わりの日において、主イエスは肉となってお戻りになり、真理を表されて神様の家から始まる裁きの働きをなさってきました。しかし主を信じる多くの兄弟姉妹が、ヤーウェ神は旧約聖書における霊として働きをなさったとか、神様は終わりの日に受肉なさる必要がなく、霊の形で働きをお続けになるとか信じています。受肉した神様の働きと霊の働きとの違いは何でしょうか。

東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年9月4日金曜日

全能神教会 | 真の道を考察するには、神の声だけに耳を傾けなさい。絶対にサタンの噂を信じてはいけません。


参照聖書箇所

「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音10:27)

「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(ローマ人への手紙10:17)

「わたしの民は知識がないために滅ぼされる。」(ホセア書4:6)

「愚かな者は知恵がなくて死ぬ。」(箴言10:21)


関連する神の言葉

2020年9月2日水曜日

全能神教会 | 神が中国共産党政府と宗教界の奉仕を用いることにおいて、神のどんな知恵と全能性が明らかにされていますか。(1)


「六千年にわたるわたしの経営(救いの)計画全体は、三つの段階、あるいは時代から成る。まず律法の時代、次に恵みの時代(贖いの時代でもある)、そして最後に神の国の時代である。これら三つの時代におけるわたしの働きは、各時代の性質によって異なるが、それぞれの段階で人の必要性に対応している、というよりむしろ、わたしに対する戦いでサタンが用いるその策略に応じて異なっている。わたしの働きの目的は、サタンを打ち負かし、わたしの知恵と全能を明らかにし、サタンの策略をすべてあばくことで、その支配下に生きるすべての人間を救うことである。それはわたしの知恵と全能を示すと同時に、サタンのおぞましさを明らかにするものである。それに加えてわたしの創造物が善悪を区別し、わたしこそがすべての物を治める者であることを認識し、サタンが人類の敵、下の下、悪い者であることがはっきり分かるよう教え、善悪、真理と偽り、聖さと汚れ、偉大さと卑劣の違いを明白にすることである。それにより無知な人間が、人間を堕落させるのはわたしではないこと、創造主であるわたしだけが人間を救うことができ、楽しみとなる物事を授けることができることを、わたしに対して証しし、わたしこそがすべての物を治める者であり、サタンは後にわたしに背いたわたしの被造物の一つにすぎないと彼らは知ることができる。」
『言葉は肉において現れる』の「贖いの時代における働きについての真実」より

2020年9月1日火曜日

全能神教会 | なぜ宗教界は全能神と全能神教会を罪に定め、狂気のごとく抵抗することにそれほど多くの努力を注ぐのでしょうか。


参照聖書箇所

「もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。」(マタイによる福音 21:33-39 )

「そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、『この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう』。…… 彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。」(ヨハネによる福音書 11:47-48、53)


関連する神の言葉

2020年8月30日日曜日

全能神教会 | 質問2:

質問2.主イエスが言われました。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネによる福音書 14:2-3)主は復活して天に戻り場所を用意するなら、私たちの場所は天にあるということでしょう?主が戻られたなら、私たちは天に引き上げられ、空に昇り主にお会いできるということでは?あなた方の言うように主が戻り、受肉して話し働いておられるなら、どうやって天国に引き上げてくださるのか?天国は地上にあるんですか?それとも天に?


解答: 天国が天にあるか地上にあるかは多くの人が抱く疑問ですので、今日お話ししたいと思います。まず天国とは何か、確認しておきましょうか。天国と言う時、通常は神を指していることは誰でも知っています。つまり天国とは神様の御国を指し、神様が権力を持つキリストの御国のこと、そうですよね?神様の御国は地上にあるのか天にあるのか、主が祈りの中でおっしゃっています。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイによる福音書 6:9-10) 

2020年8月27日木曜日

全能神教会 | 質問2:


質問2.主イエスは終わりの日に戻られたと証しされましたが、私には見えない。主は雲に乗って戻られるはずです。主が戻られれば、信者は一瞬にしてその姿を変え、主に会うことができるのです。パウロもこう言いました。「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」(ピリピ人への手紙 3:20-21)しかし、あなた方は主は受肉して人の子として現れ、働きをするために戻られると言う。それはあり得ない。神は全能で、神の一言で天と地すべてのものが造られ、死人さえ起き上がるのです。神は一言で私達を聖なるものにしてくださる。真理を示し、裁きの働きをし、人間を清めるため、なぜ神が受肉する必要があるのです?

解答: 神の働きは人間には計り知れないので、神の預言をはっきり説明できる者はいません。預言が成就されて初めて人間には理解できる。それはどういう意味でしょう。誰も神の知恵と全能を測ることはできないということです。主が恵みの時代に来られ働かれましたが、誰もそれを見抜けませんでした。神の国の時代に全能神が裁きの働きをされても、それ

2020年8月25日火曜日

全能神教会 | 質問1:

質問1.あなたは主イエスが再臨され裁きの働きをし、そして真理を示していると証しをされていますけれど、それは可能なんですか?主は実際に私たちを天の国にへと連れて行かれるのです。私たちを置いたまま、裁きの働きはなさいません。私たちは主を信じ聖霊の働きを受けていれば、既に神の裁きの働きを体験していると思います。主イエスの言葉が何よりの証拠です。「わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。」(ヨハネによる福音書 16:7-8)私たちは主イエスが復活し、天国に昇られた後、聖霊が降りたと考えます。それにより、人はすでに自分の罪や義、裁きについて自分を責めています。私たちは主の前で告白し悔い改めたとき、実際に主の裁きを受けているのです。つまり、主イエスの働きは贖いの働きであっても、天に昇られたあと、ペンテコステでの聖霊の働きが終わりの日の神の裁きの働きであると信じます。これこそ、裁きの働きではないですか?「罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」とありますよね?私たちは主の信者として聖霊に触れられ、戒められ、訓練されています。泣いて悔い改めてるんです。良い行いでどう変化したか表しています。そうじゃないんですか?これこそが神の裁きを受けた結果ではないですか?あなたがたがおっしゃる全能神による終わりの日の裁きの働きは、主イエスの働きとどう違うのでしょうか?

解答: 主イエスがされたのは贖いの働きですね。「悔い改めよ、天国は近づいた。」主イエスはこうおっしゃったのに、ペンテコステで聖霊が終わりの日の裁きの働きをしたなどとなぜそんなことを言うのです?根拠はこの言葉ですよね?

2020年8月23日日曜日

全能神教会 | 「わたしの羊はわたしの声に聞き従う」と主は言いました。主が戻られ、羊を集めていると分かりました。主を待つとは主の声を探し求めることですが、問題は主の声をどうやって聞くのか知らないことです。神の声と人間の声の区別がつきません。絶対に主の声だと分かるにはどうしたらいいですか?


解答: 神の声を聞くのに、人としての資質や経験の長さは関係ありません。信仰において、主イエスの言葉を聞いた時どう感じるでしょう?主の言葉について経験も認識もないのに、聞いた瞬間に、それは真理であると感じて、権威と力があると分かるでしょう。その感覚というのは経験から来るものでしょうか?霊感と直感から来るのです。その証拠に、心と霊がある人は神の言葉が持つ力と権威を感じられます。これが神の声を聞くということです。さらに、神の声と人間の声の最大の違いは、神の声は真理で、力と権威があり、すぐに分かるということです。言葉にできるかどうかはともかく、気持ちははっきりしている。人間の声はもっと簡単で

2020年8月20日木曜日

全能神教会 | 質問3:

質問3.聖書にあります。「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう。」(使徒行伝 1:11)主が復活されたあと天に上がったのは霊体で、その霊体が雲に乗って戻られるはずです。神が終わりの日の働きのため再び受肉されるなど、聖書と矛盾しています。牧師たちは主が受肉して再臨したという証しは嘘だと言っている。だから、主が受肉して戻るなんて証しは、私は受け入れられない。我々はただ主が雲に乗って降りて来られるのを待っていればいい。

解答: 主が受肉して再臨されるはずがない、本当にそうですか?このことは聖書にも明記されています。あなたは見つけ

2020年8月18日火曜日

全能神教会 | 神の声をどのように聞き分けるべきで、全能神が本当に再臨の主イエスであることをいかに確認することができるのか


参考聖書箇所

わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書 10:27)

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」(ヨハネによる福音書 16:12-13)

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」(ヨハネの黙示録 2:7)

見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる。」(ヨハネの黙示録 5:5)

今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパであり、オメガである』。」(ヨハネの黙示録 1:8)

関連する神の言葉

人の姿になった神の言葉は新しい時代を開始し、人類全体を

2020年8月17日月曜日

全能神教会 | 質問17:

質問17:主が受肉して終わりの日に真理を表し、人に対する裁きと清めの働きを行うためにすでに再来なさっているとあなたがたは証を立てていますが、宗教界の牧師と長老たちは主が雲に乗ってこられ、信者はたちどころに形を変え、主と会うために雲の中に携挙されるであろうと信じています。これはパウロが次のように言った通りです。「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」(ピリピ人への手紙3:20-21)主は全能であり、主がなし得ないことは何一つありません。神は一言で私たちを変えて清めることがおできになるでしょう。それならばなぜ真理を表し、人間に対する裁きと清めの働きの一段階を行うために神が受肉なさる必要があるのですか。


回答

神の働きは人間には計り知れないので、神の預言をはっきり説明できる者はいません。預言が成就されて初めて人間には理解できる、それはどういう意味でしょう。誰も神の知恵と

2020年8月16日日曜日

全能神教会 | 質問14:「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ人への手紙10:10)と聖書にあります。主イエスが私たちの罪を赦し、私たちを信仰によって義なるものにしてくださったと私たちは信じています。さらに、一度救われれば永遠に救われ、主が再来なさると私たちはすぐに携挙され天国に入ると私たちは信じています。ではなぜ救われ天国に導かれる前に終わりの日の神の裁きの働きを受け入れなければならないとあなたがたは証を立てているのですか。

質問14:「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ人への手紙10:10)と聖書にあります。主イエスが私たちの罪を赦し、私たちを信仰によって義なるものにしてくださったと私たちは信じています。さらに、一度救われれば永遠に救われ、主が再来なさると私たちはすぐに携挙され天国に入ると私たちは信じています。ではなぜ救われ天国に導かれる前に終わりの日の神の裁きの働きを受け入れなければならないとあなたがたは証を立てているのですか。


回答

主が十字架の上で亡くなったとき、私達を贖われたので、罪は全部赦されていると信者は考えています。私達はもう罪人ではないと。信仰を通して義になり、最後まで耐えていれば、救われ、主が戻られた時、直に天国に招かれると信じていますが、それは真実でしょうか?神はその主張の根拠になる発言をされていますか?もしこれが真理にそぐわない見方だとしたら、どうなります?主を信じる者として何事も主の御言葉をもとに判断すべきです。特に主の再来をどう受け止

2020年8月15日土曜日

全能神教会 | 終わりの日に神によって表わされた真理はなぜ人を清め、人を完全にし、人のいのちになることができるのか


いのちの道は、誰でも持てるものではなく、誰にでも簡単に得られるものでもない。なぜなら、いのちは神のみに由来しているからだ。それはすなわち、神自身のみがいのちの本質を持っており、神自身なくしていのちの道は存在せず、神のみが、いのちと永遠に流れつづけるいのちの生ける泉の源であることを意味する。神が世界を創造したとき以来、神はいのちの活力に関わる多くの働きをし、人にいのちを与える多くの働きをし、人がいのちを得られるよう多大な代償を払ってきた。神自身が永遠のいのちで、神自身が、人が復活できる道だからである。神が人の心に不在であることはなく、常に人の中に生きている。神は人の生活の原動力であり、人の存在の基盤であり、誕生後の人の存在にとっての豊かな鉱物である。神は人を生まれ変わらせ、人が自分の持つあらゆる役割においてしっかりと生きられるようにする。神の力と、神の消えることのないいのちの力のおかげで、人は何世代も生きてきた。その間ずっと、神のいのちの力は人の存在の支えであり、神は普通の人間が誰も払ったことのないような代償を払ってきた。神のいのちの力は、いかなる力にも勝る。そしていかなる力をも超越する。神のいのちは永遠であり、神の力は非凡であり、神のいのちの力はいかなる被造物や敵の力によっても簡単に圧倒されない。神のいのちの力は存在し、時と場所にかかわらず明るい輝きを放つ。天地は激変す

2020年8月13日木曜日

全能神教会 | キリストが真理、道、そしていのちであることをどのように理解するべきか


初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。」(ヨハネによる福音書 1:1-2)

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。…めぐみとまこととに満ちていた。」(ヨハネによる福音書 1:14)

「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネによる福音書 14:6)

「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」(ヨハネによる福音書 6:63)

関連する神の言葉

真理とは、人の世から出るが、人の世の真理は、キリストによって伝えられるのである。真理とはキリスト、すなわち神自身から来るものであって、人には達成できないものなのだ。
『言葉は肉において現れる』の「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」より

2020年8月5日水曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「堕落した人類には受肉した神による救いの方が必要である」抜粋118



神が受肉したのは、その働きの対象がサタンの霊や肉体を持たない何かではなく、人間、つまり肉体をもち、サタンに堕落させられた存在だからである。人間の肉体が堕落しているからこそ、神は肉体をもつ人間を働きの対象とした。さらに、人間は堕落の対象であるため、神は救済の働きの全段階で、人間をその働きの唯一の対象としている。人間は死すべき存在で、生身の体をもっているが、人間を救える唯一の存在は神なのである。そこで、その働きでよりよい成果が得られるよう、神は働きを行うために人間と同じ属性をもつ肉体をもたなければならない。神がその働きを行うために受肉しなければならないのは、人間が肉体をもっていて、罪を克服することも、肉体を捨て去ることもできないためだ。受肉し

2020年8月3日月曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「堕落した人類には受肉した神による救いの方が必要である」抜粋83



人間の肉体の堕落を裁くのには、受肉した神以上にふさわしいものはいない。もし神の霊が直接裁いたならば、それはすべてを含むものではないであろう。そのうえ、そうした働きは人間には受け入れがたいものだったろう。なぜなら、霊は人間と直接会うことができず、そのため効果は即座に見られるものでもない。まして、人間が神の侵しがたい性質をより明確に目にすることはできないであろう。もし受肉した神が人間の堕落を裁くなら、はじめてサタンを完全に打ち負かせる。受肉して普通の人間性をもった神は、直接人間の不義を裁くことができる。これが神本来の聖さ、すばらしさである。神だけが人間を裁く資格があり、その地位にいる。神には真理と義があるから、人間を裁くことができる。真理と義のない者には他人を裁くことができない。この働きが神の霊

2020年7月28日火曜日

全能神教会 | 裁きとは何か。


関連する神の言葉

裁きの働きは神自身の働きであり、そのため当然ながら神が自ら行なわなければならない。それは神の代わりに人が行うことはできない。裁きとは真理を用いて人類を征服することなので、この働きを人のあいだで行うために神が受肉した姿で再び現れることは疑いもないことである。つまり、終わりの日においてキリストは真理を用いて世界各地の人々を教え、彼らにあらゆる真理を知らしめる。これが神の裁きの働きである。
『言葉は肉において現れる』の「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」より

「裁き」という言葉を出せば、ヤーウェがあらゆる場所に向けて語った言葉、イエスがパリサイ人に語った非難の言葉をあなたはたぶん思い浮かべるであろう。それらの言葉の厳し