終わりの日の働きとは、すべての人をその性質に応じて区分し、神の経営(救いの)計画を締めくくることである。時が近づき、神の日が来たからである。神の国に入る人すべて、すなわち神に最後の最後まで忠実な人すべてを、神は神自身の時代に連れて行く。しかし、神自身の時代が来る前は、神の働きは人間の行いを観察したり、人間の生活について調べたりすることではなく、人間の不服従を裁くことである。神の玉座の前に来る人すべてを、神は清めなければならないからである。今日まで神の足跡に従ってきた人はすべて神の玉座の前に来る人であり、これゆえに、最終段階の神の働きを受け入れる人の一人ひとりは神の清めの対象である。言い換えれば、最終段階における神の働きを受け入れる人は誰もが、神の裁きの対象なのである。
全能神のお現れとお働きは、宗教界で長年主を信じる人々は主イエスがすでに再来されたとわかりました。彼らは全能神が主イエスの再来であることを証ししました。従って、すべて全能神の終わりの日のお働きを受けました。
2020年12月2日水曜日
全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「正しい道に戻る」
2020年12月1日火曜日
全能神教会 | クリスチャンの証し 2020「苦しみから喜びを」日本語吹き替え
鍾心銘(チョン・シンミン)は教会の指導者で、本分のためなら苦しみに耐えることができ、良心と責任感を兼ね備えています。腰に問題を抱えていますが、痛みに負けず本分を尽くし続けます。しかし病状は悪化し、検査の結果、脊椎の四番目と五番目がヘルニアに冒されていると判明します。すぐに治療を受けなければ、寝たきりになるかもしれません。彼女は少し不安を覚えますが、この病状は神の許しを得て生じたもので、神は自分に試練を与え、自分の信仰と献身を試しているのだと信じます。そして治療に協力して本分を尽くし続ける限り、神はきっと守ってくださると思うのです。しかし時間が経つにつれて病状はますます悪化し、いつ身体が麻痺してもおかしくない状態に陥ります。病気というこの試練を彼女はどう乗り越えるのでしょう? そして最後にどうやって喜びを得るのでしょう? 『苦しみから喜びを』をご覧になり、その答えを見つけてください。
2020年11月30日月曜日
全能神教会 | キリスト教会漫才「パンデミックに直面して」
2020年11月29日日曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「素質の向上は神の救いを授かるためである」抜粋447
2020年11月28日土曜日
2020年11月27日金曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖書について(1)」抜粋267
2020年11月26日木曜日
全能神教会 | サタンの噂を信じ、神に背を向ける者たちを、神はどのように取り扱われますか
全能神教会 | 日々の神の御言葉「地位の祝福は脇に置き、人に救いをもたらす神の心意を理解するべきである」抜粋84
2020年11月23日月曜日
全能神教会 | 中国共産党政府と宗教界の噂を信じるという問題の性質は何ですか。
2020年11月22日日曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖霊の働きとサタンの働き」抜粋445
日常生活で自分に何かが起きる際、それが聖霊の働きに由来するものなのか、サタンの働きに由来するものなのか、どのように識別すべきだろうか。状態が正常であれば、その人の霊的生活と肉における生活は正常であり、理知も正常で秩序がある。このような状態にあるとき、彼らが経験し、自分の中で知るようになる物事は、一般的には、聖霊に触れられたことに由来するものだと言える(神の言葉を飲み食いする際に洞察力があったり、多少の単純な認識を有していたりすること、あるいは何らかの物事において忠実であること、そして神を愛する力があることは、いずれも聖霊に由来するものである)。聖霊が人の中で行なう働きは特に正常である。人はそれを感じられないし、実際には聖霊の働きであるにもかかわらず、人自身から生じたもののように思われる。日常生活において、聖霊はすべての人の中で大小いずれの働きも行なうが、異なっているのはその働きの程度だけである。中には優れた素質をもつ人がおり、そのような人は物事を素早く理解し、聖霊による啓きは彼らの中で特に大きい。その一方で素質に乏しい人もおり、物事を理解するのにより時間がかかるものの、聖霊は彼らの内側にも触れ、彼らもまた神への忠実を遂げることができる。聖霊は神を追い求めるすべての人の中で働きを行なうのである。日常生活において人々が神に反対したり、反抗したりすることがなく、神の経営に反することを行なわず、神の働きに干渉しなければ、神の霊が一人ひとりの中で大なり小なり働きを行なう。神の霊は彼らに触れ、彼らを啓き、信仰と力を与え、彼らを感動させて積極的に入るようにし、怠惰になったり肉の楽しみをむさぼったりしないようにする。そして彼らが進んで真理を実践し、神の言葉を切望するようにさせる。そのすべてが聖霊に由来する働きである。
2020年11月21日土曜日
全能神教会 | 神が中国共産党政府と宗教界の奉仕を用いることにおいて、神のどんな知恵と全能性が明らかにされていますか。(1)
2020年11月19日木曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「聖書について(1)」抜粋265
2020年11月18日水曜日
全能神教会 | 中国共産党政府と宗教界の邪悪な本質とは何でしょうか。
「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは……」(ヨハネの黙示録12:9)
2020年11月16日月曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈:第十章」抜粋225
神の国の建設は正式に始まっているが、神の国の礼砲はまだ鳴り響いていない。現在、それはこれから起こることの預言に過ぎないのである。民がみな完全にされ、地上のすべての国がキリストの国となるとき、それは七つの雷鳴が轟くときである。現在はその段階へと大きく前進するときであり、その日に向かってすでに進撃している。これが神の計画であり、近い将来実現する。しかし、神は自身が語ったすべてのことをすでに達成している。したがって、地上の国々が砂上の楼閣に過ぎず、大波が押し寄せれば揺れ動くのは明らかである。終わりの日は迫っており、赤い大きな竜は神の言葉の下に倒れる。神の計画が成功裏に遂行されることを確実にすべく、天使たちが地上に降り、神を満足させるために最善を尽くしてきた。そして肉となった神自身が出陣し、敵に戦いを挑んできた。受肉した神がどこに現われようと、敵はその場で滅ぼされる。真っ先に滅ぼされるのは中国で、神の手によって破壊される。神は中国を一切容赦しない。赤い大きな竜が次第に崩壊していることは、人々が絶えず成熟していることによって証明されている。これは誰にとっても一目瞭然である。人々の成熟は敵が消滅することの兆候であり、「競争する」という言葉の意味を少しばかり説明している。このように、神に美しい証しを捧げ、赤い大きな竜の醜さである観念が人の心に占めている地位を打ち消すよう、神は事あるごとに人に思い出させた。そうすることで、神は人々の信仰にいのちを与え、自身の働きを成し遂げる。なぜなら、神はこのように言ったからである。「人間にいったい何ができるのか。むしろ、わたしが自ら行なうのではないのか」。人はこのようなものである。つまり能力がないだけでなく、すぐに落胆し、失望する。そのため、人は神を知ることができない。神は人の信仰を蘇らせるだけでなく、絶えず密かに人々へ力を吹き込んでいるのだ。
2020年11月15日日曜日
全能神教会 | なぜ宗教界は全能神と全能神教会を罪に定め、狂気のごとく抵抗することにそれほど多くの努力を注ぐのでしょうか。
参照聖書箇所
「もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。」(マタイによる福音書 21:33-39 )
「そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、『この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう』。…… 彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。」(ヨハネによる福音書 11:47-48、53)
関連する神の言葉
2020年11月13日金曜日
全能神教会 | 神への信仰が真実であれば、頻繁に神の労りを与えられる
ニネベの人々に対する神の心の変化には、躊躇や曖昧さが一切含まれていなかった。むしろ、その変化は純粋な怒りから、純粋な寛容さへの変化であった。これが神の本質の真の明示である。神は、業に関して優柔不断であることや躊躇することが決して無い。神の業の根底にある原理と目的はすべて明白かつ明瞭であり、純粋で完璧であり、その中に策略や陰謀は一切潜んでいない。つまり、神の本質には、闇や邪悪が一切含まれていない。神はニネベの人々の悪の行いが神の目に留まったため、ニネベの人々に対して怒ったが、この時、神の怒りは神の本質に由来するものであった。しかし、神の怒りが消え、ニネベの人々に再び寛容さが与えられた時に神が明示したのも、神自身の本質であった。この変化は、すべて人間の神に対する姿勢の変化に起因するものであった。この変化の間、侵害を許さない神の性質も、神の寛容な本質も、神の愛と憐れみに満ちた本質も変わることが無かった。人々が邪悪な行動を取ったり、神を侵害したりした場合、神はその人々に神の怒りを伝える。人々が真に悔い改めた場合、神の心は変化し、神の怒りは静まる。人々が神に対して頑なに反抗を続けた場合、神の怒りは静まることが無い。神の怒りは徐々にこうした人々を侵し、最終的に人々は滅びを迎える。これが神の性質の本質である。神が示しているのが怒りであれ、憐れみと慈愛であれ、人間の心底にある神に対する行動と姿勢が、神の性質の明示により何が現されるかを左右する。神がある者に対して継続して怒っている場合、その者の心は間違い無く神に反抗している。その者は決して悔い改めず、神の前でひれ伏すこともなく、神に対して真の信仰を持つこともなかったため、その者は決して神の憐れみと寛容さを得ることはできない。ある者が神の労りや憐れみ、寛容さを頻繁に与えられている場合、その者には間違い無く神に対する真の信仰があり、その者の心は神に反抗していない。その者はしばしば神の前で正直に悔い改めるので、しばしば神の鍛錬がその者にくだったとしても、その者に神の怒りがくだることは無い。
2020年11月12日木曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「働きと入ること(2)」抜粋458
2020年11月10日火曜日
全能神教会 | なぜ中国共産党政府は全能神と全能神教会を狂気のごとく弾圧し、残虐にも迫害するのでしょうか。
「この時代は邪悪な時代である。」(ルカによる福音書 11:29) 「全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。 」 (ヨハネの第一の手紙 5:19) 「光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。」(ヨハネによる福音書 3:19-20 ) 「もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。」( ヨハネによる福音書 15:18)
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。」(イザヤ書 14:12-14) 「さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。 ……龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。」(ヨハネの黙示録 12:7-9、13)
関連する神の言葉
2020年11月9日月曜日
全能神教会 | 日々の神の御言葉「モアブの子孫を救うことの意義」抜粋185
2020年11月8日日曜日
全能神教会 | 神は、ニネベの人々の心の底からの真摯な悔い改めを確認した
ヤーウェの警告に対するニネベとソドムの反応の明らかな相違点
滅びる、とは何を意味するであろうか。言葉通りに解釈すれば、消滅するということである。しかし、どのようにして消滅するであろうか。一体誰が町全体を滅びさせることができようか。当然、そのようなことは人間には不可能である。ニネベの人々は愚かではなかったので、この宣告を聞いてすぐに、その旨を理解した。ニネベの人々は、その宣告が神から伝えられたものであること、神が業を行うつもりであること、自分達の邪悪さがヤーウェ神の怒りに触れ、その怒りが自分達に対するもので、程なくしてニネベの町も自分達も滅ぼされるであろうことを理解した。ヤーウェ神の警告に対し、ニネベの人々はどのように行動したであろうか。聖書では、王から一般人まで、ニネベの人々の反応が詳細に記載されている。聖句には、「そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。また王とその大臣の布告をもって、ニネベ中にふれさせて言った、『人も獣も牛も羊もみな、何をも味わってはならない。物を食い、水を飲んではならない。人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。…』とある。