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2020年9月8日火曜日

全能神教会 | キリスト教映画「勝利の凱歌」抜粋シーン(1)主は再来の時、どのようにして出現され、御働きをなさるのか?



終わりの日の大災害の予兆、すなわち4つの血の月と、夜空の星々の異様なさまが出現し、大災害は近づいています。多くの主を信仰する者達は主の再臨の予感、あるいはすでに再臨されたことを感じています。皆が主の再臨をそれほどまでに待ち焦がれているとき、ふと疑問を抱いたことがありませんか?終わりの日に主が再臨される時、主は一体どのようにして出現なさるのでしょうか。また、再臨のときに主がなさる御働きとはどのようなものでしょうか。ヨハネの黙示録にある大きな白い玉座での裁きは、どう成就するのでしょう。この短編動画がその答えを示してくれます!

東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年9月3日木曜日

全能神教会 | サタンの噂を信じ、神に背を向ける者たちを、神はどのように取り扱われますか。


参照聖書箇所

「へびは女に言った、『あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』。女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。……そこでヤーウェ神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。」(創世記3:4-6、23)

関連する神の言葉

「わたしに属さない者はわたしに敵対するものである。わたしに属するものはわたしと相容れるに適った者である。これは疑いの余地のないことであり、サタンに対するわたしの裁きの原則である。この原則を知るべきである──サタンから来る全てもの者は裁かれ、焼き尽くされ、灰となる。これはわたしの怒りでもあり、人はわたしの性質をさらに知ることができる。」
『言葉は肉において現れる』の「第百八章」より

2020年8月16日日曜日

全能神教会 | 質問14:「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ人への手紙10:10)と聖書にあります。主イエスが私たちの罪を赦し、私たちを信仰によって義なるものにしてくださったと私たちは信じています。さらに、一度救われれば永遠に救われ、主が再来なさると私たちはすぐに携挙され天国に入ると私たちは信じています。ではなぜ救われ天国に導かれる前に終わりの日の神の裁きの働きを受け入れなければならないとあなたがたは証を立てているのですか。

質問14:「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ人への手紙10:10)と聖書にあります。主イエスが私たちの罪を赦し、私たちを信仰によって義なるものにしてくださったと私たちは信じています。さらに、一度救われれば永遠に救われ、主が再来なさると私たちはすぐに携挙され天国に入ると私たちは信じています。ではなぜ救われ天国に導かれる前に終わりの日の神の裁きの働きを受け入れなければならないとあなたがたは証を立てているのですか。


回答

主が十字架の上で亡くなったとき、私達を贖われたので、罪は全部赦されていると信者は考えています。私達はもう罪人ではないと。信仰を通して義になり、最後まで耐えていれば、救われ、主が戻られた時、直に天国に招かれると信じていますが、それは真実でしょうか?神はその主張の根拠になる発言をされていますか?もしこれが真理にそぐわない見方だとしたら、どうなります?主を信じる者として何事も主の御言葉をもとに判断すべきです。特に主の再来をどう受け止

2020年8月12日水曜日

全能神教会 | 日々の神の御言葉「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」抜粋255



あなたが本当に永遠のいのちの道を得たいと望み、飽くことなく探し続けているなら、まずこの質問に答えてほしい。今日、神はどこにいるのか?おそらくあなたは、神は天にいると答えるだろう。もちろん、あなたの家に住みはしないだろう。あなたは、神は明らかに万物の中にいると言うかもしれない。もしくは、神は各々の心の中に住んでいると言うかもしれないし、神は霊的世界にいると言うかもしれない。これらのどれも否定はしないが、問題を明確にしなければならない。神が人の心の中に住んでいるというのは全く正しいわけではないが、かと言って全く間違っているわけでもない。すなわち、神を信ずる者の中には、その信仰が本物である者と偽物である者、また神が認める者と認めない者、神を喜ばせる者と神が嫌う者、そして神が完全にする者と神が排除する者がいるからだ。だから神は一握りの人の心にのみ住んでいるとわたしは言う。この人たちは疑いなく真に神を信じ、神に認められ、神を喜ばせ、神はこの人たちを完全にする。神はこのような人たちを導く。彼らは神に導かれていて、既に神の永遠のいのちの道を見聞きしている。神への信仰が偽物