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2020年5月30日土曜日

全能神教会 | キリスト教会寸劇2019「救いを得れば天国に入れるのか」日本語吹き替え



チャン・ムデは家庭教会の説教者であり、「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」(ローマ人への手紙10:10)と信じ、「私は主イエスを信じているのだから、すでに義人とされている。すでに救いを得ているのだ。主が再臨されたとき、天国に直接携挙して頂ける」と思っています。 ある日、彼の娘がよその地域での宣教活動から帰宅し、彼が何年も抱いていたこの見解に疑問を投げかけます。 その後、三人家族は、「救いを得ることで天国に入れるか否か」、「どんな種類の人が天国に入れるか」、それに関連した問題について激論を始めます。

東方閃電全能神教会は、イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年5月22日金曜日

全能神教会 | キリスト教会寸劇2019「神の新しい名」ヨハネの黙示録の中にある神様の名前の奥義を解く 日本語吹き替え



シューシンは家庭教会の同労者であり、常に熱心に主の再臨を求め、切望しています。ある日、彼女の姪が彼女に、「主は戻られたときに新しい名を名乗り、神の新しい名を受け入れる人だけが神の御座の前に引き上げられる」と証ししました。この証しはヨハネの黙示録の次の預言に基づいています。「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都...の名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう」(ヨハネの黙示録3 : 12)しかしシューシンは、イエスの名前は決して変わらず、戻って来られてもイエスと呼ばれると信じています。このことから、2人は議論を始めました。その議論の結末はいかに?主は再臨の時、本当に新しい名を名乗られるのでしょうか?寸劇「神の新しい名」を見て確かめましょう。

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年5月20日水曜日

全能神教会 | キリスト教映画「栄恥」抜粋シーン 神の名の謎を解き明かす



律法の時代における神の名は「ヤ-ウェ」であり、「イエス」は恵みの時代における神の名でした。終わりの日に主が再臨される時、神は新たな名を得られるとヨハネの黙示録は預言しましたが、どうして神は、それぞれの時代に異なった名を持っておられるのでしょうか?これらの名と、これらの名を神が用いられる御業の段階との関係とは一体何でしょうか?このビデオはその答えをあなたに明かします。
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2020年5月16日土曜日

全能神教会 | 聖書に関する映画「神様の名前は変わった?!」抜粋シーン(2)神の名は本当に変わることはないでしょうか?



宗教界の牧師や長老たちは、主イエスの御名は決して変わることがなく、主イエスの御名に拠り頼むことによってのみ、私たちは救われるのだと、常日頃信者に説いて教えます。このような見解は真理に適っているでしょうか?ヤ-ウェ神は言われました。「わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみヤーウェである。わたしのほかに救う者はいない。」(イザヤ書43:10-11)恵みの時代において、受肉の神はイエスという名をとられました。神は変わることのないお方です。それでは何故、神の名が変わるというようなことが起こり得るのでしょう?さらに、ヨハネの黙示録では、神は終わりの日に新たな名を得るということが預言されていますが、これは一体どういうことなのでしょうか?多くの人々がこの問題について困惑していますが、このビデオがあなたに真理を明らかにします。

2020年5月12日火曜日

全能神教会 | ゴスペル キリスト教映画「呪縛を解く」抜粋シーン(1)どのように私たちは主の再臨を迎えるのか



宗教界では多くの人が、「神様の言葉と働きは全て聖書に書かれており、聖書の外に神様の言葉も働きも存在しない」という牧師や長老の言葉を信じています。それは聖書に書いてあるのでしょうか?主イエスがそうおっしゃったのでしょうか?ヨハネの黙示録には沢山の予言があります。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」主もはっきり言われていますが、終わりの日に戻った時には、言葉を発すると。聖書から離れずに聖霊が教会に向けて語っている事に従っていれば、主をお迎えできるのでは?

2020年5月8日金曜日

全能神教会 | クリスチャン映画「天国への危険な道」抜粋シーン(2) 受肉による神の再臨について、聖書にはその根拠があるのか



主の再臨を歓迎する人の多くは、聖書にある「神は雲に乗って降りてこられ、再臨される」という預言のみに重点を置き、主は肉において再臨なされるという預言を蔑ろにしています。彼らは、神が肉体をもって再臨されるという証はすべて偽りであると断言していますが、はたして彼らの見解と行いは聖書と合致しているでしょうか。受肉による主の再臨に関して、聖書では具体的にどのように預言されているのでしょうか。

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2020年4月26日日曜日

全能神教会 | 聖書映画「夢からの目覚め」抜粋シーン(2)神聖でない者は神の御国に入ることができない



私達信者の罪が許されるとき、我々は清められ、完成するのでしょうか。もし私たちが清めを受けるために努力せず、主のために身を捧げることのみに専念し、主のための働きに努めていれば、私達は神様の御国に招き入れられるのでしょうか。この動画、「夢からの目覚め」、は全ての答えを見せてくれます!

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年4月25日土曜日

全能神教会 | 福音漫才「聖書を離れて」日本語吹き替え



向陽は家庭教会に務めており、多くの宗教信仰者と同様に、「神の言葉と働きは皆聖書の中にある。主を信じるとは聖書を信じるということ。聖書は主を表すのであり、聖書を守れば天の国に入り、永遠のいのちを得る」と考えます。終わりの日の神の働きを受け入れた兄弟はこの考えに疑問を抱き、2人はユーモラスな対話に臨みます。神の言葉と働きは本当にすべて聖書のなかにあるのか。聖書は本当に主を表すのでしょうか。私たちは聖書を守ることで、天の国に入って永遠のいのちを得られるのでしょうか。答えはどうぞ漫才「聖書を離れて」をご覧になって見つけてください。

全能神教会 | 聖書黙示録終末の預言は成就された──主の再臨をどうお迎えすればよいか

2000年前、主の弟子たちはイエスに尋ねました。
「あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」(マタイによる福音書 24:3)
主イエスは答えられました。
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。」(マタイによる福音書 24:6–8)
今日、世界中でますます多くの災厄が発生しています。地震、伝染病の流行、飢饉、戦争、洪水が相次いで起こっています。2019年の暮れには、中国の武漢で新型コロナウィルスが発生しました。その感染率は驚異的です。わずか数ヶ月のうちに感染例が中国全土で出現し、中国はまたたく間に大混乱に陥りました。死亡者数が増えつづけるなか、多くの省、直轄市、村が次々と閉鎖されつつあります。このウィルスはさらに国境を越えて、世界の20ヶ国以上に広まっています。それに加えてオーストラリアでは、2019年の9月から2020年の1月にかけて森林火災のために、5900棟以上の建物が焼失し10億匹以上の動物の命が奪われました。2020年1月には同じオーストラリア大陸が百年に一度の集中豪雨に見舞われ、洪水が発生し多くの淡水生物が死にました。インドネシアでは同月の洪水のために、何万人という人々が家を失っています。さらにフィリピンで火山が噴火、アフリカで過去25年間で最悪のバッタが大量発生、中国の新疆でマグニチュード6.4の地震が発生……と、こうした例は枚挙に暇がありません。主の来臨を告げる聖書の預言が成就されているのです。こうしたことは主が戻られたことを明白に示していま

2020年4月22日水曜日

全能神教会 | キリスト教映画「足枷を解いて走れ」抜粋シーン(3)聖書の先へ:主と共に神の国の宴に集いなさい 日本語吹き替え



主を信仰する多くの人はこう考えています。神の御言葉と御働きはすべて聖書に書かれていて、聖書に書かれている神の救いは、それがすべてである、と。そして、神への信仰は聖書に基づいたものであるべきであり、信仰が聖書に基づいたものであれば、私たちは必ず神の国に招き入れられる、と。 こうした宗教的な概念は、私たちの心を縛り抑制する見えない縄のように作用し、そのため聖霊の御働きを探し求めることもせず、今行われている神様の御働きに服することができなくなります。それではどうやって、聖書と神様、あるいは聖書と神様の御働きとのつながりを理解することができるのでしょうか?「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。 」(ヨハネによる福音書5:39-40)全能神が言われます。「終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。」(『言葉は肉において現れる』より)神の御前に立ち、主の救いを受け、主と共に神の国の宴に集うためには、聖書から離れるよりほかにありません。

2020年4月21日火曜日

全能神教会 | ゴスペル キリスト教映画「神への信仰」抜粋シーン(4)聖書を信じることは主を信じることに相当するか 日本語吹き替え



宗教界の人々の大半は、聖書がキリスト教の聖典であり、聖書を手離さずに大切に扱い、主についての自身の信仰をすべて聖書のみに基づけ、また聖書から離れてしまえば信者とは言えないことを信じています。それでは、主への信仰と聖書への信仰は全く同一なものでしょうか?聖書と主の関係とは一体何でしょうか?「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。」(ヨハネによる福音書5章39-40節)という言葉をもって、ある時に主イエスはパリサイ人たちを諫められました。聖書はあくまで神についての証であり、永遠の命を含んではいません。神だけが真理であり、道でありまた命なのです。ではどうすれば、主の御心に叶った方法で聖書を見ることができるでしょうか?

2020年4月20日月曜日

全能神教会 | 聖書に関する映画「聖書と神」あなたは聖書と神様の関係を知っているのか|完全な映画|日本語



リュウ・チージョンは中国の地方家庭教会の長老である。彼は30年以上信徒であり、常々「聖書は神様から霊感を得て書かれた」「聖書は神様の代わりであり、神様を信じることは聖書を信じること、聖書を信じることは神様を信じることである」という考え方を支持していた。彼にとって聖書は最も重要なものなのである。彼は聖書への憧れと盲信のため終わりの日の神様の働きを求めたり見たりすることはなかった。しかしある日、彼が信徒達に神の言葉をオンラインで読むことを禁止した時、彼は全能神教会から来た証人たちと遭遇した。真理についての激しいな討論の後、彼はついに聖書と神の関係をはっきりと理解することできたのだろうか?彼は聖書から離れ、キリストこそが真理であり、道であり、命であることを理解することができたのだろうか?彼は神様の前に引き上げられたのであろうか。

東方閃電全能神教会は、イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年4月13日月曜日

全能神教会 | 恵みの時代に主イエスにより広められたメッセージは悔い改めの道だけであった

参考聖書箇所:
悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書 4:17)
これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」(マタイによる福音書 26:28)
「そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、『こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。』」(ルカによる福音書 24:45-47)
関連する神の言葉
最初にイエスは福音を伝え、悔い改めの道を説き、それから人々にバプテスマを授け、病を癒し、悪霊を追い出した。最後にイエスは人類を罪から贖い、その時代全体のための働きを完成した。
『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(1)」より
イエスの働きは、その時代における人の必要性に応じて行わ

2020年4月10日金曜日

全能神教会 | 「一度救われればその救いはずっと続く」という定義に聖書的な根拠はあるか

太陽が西の空に沈みかけ、夕焼けが広がる中、私は牧師が集会で言った言葉を考えながら家に向かっていました。「一度救われれば、私たちは永遠に救われているのです。聖書はこう言っているからです。「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ人への手紙10章9-10節) 私たちが主イエス様を信じ、心の中で主を信じて認め、言葉でそう告白するならば、私たちは救われます。一度救われたならば、永遠に救われているのです。終わりまで主のために働き、尽くし、耐えるならば、主が戻られるときに、私たちはすぐに天国に引き上げられます。」私は牧師の言葉にアーメンと答えました。「その通りだ。主イエス様は十字架にかけられた。それゆえに私たちは贖われたんだ。私たちが主の御名を呼び求め、罪を告白して主の前に悔い改めるならば、主の恵みによって罪は赦され、救われるんだ。そして一旦救われたならば、それはずっと続くことであり、後の日には天国へと引き上げられるんだ。」長年の信仰の中で、私はいつもそれが正しいと堅く信じ、疑ったことは一度もありませんでした。
救い,聖書的な根拠
けれどもある日、私が聖書を学んでいると、次のような主イエス様の御言葉が目に入りました。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、た

2020年4月8日水曜日

全能神教会 | 聖書に関する映画「私の主は誰か」抜粋シーン(2)神の働きや言葉は全て聖書の中に書かれているのでしょうか



宗教界では、神様の働きや言葉はすべて聖書の中に書かれていると信じられています。つまり聖書の外には、神様が語られた言葉や働きは存在しないという考えです。つまり、聖書を信仰している限り、天国へ行けるということが保証されいるということなのです。このような思想は、神様の働きの事実に沿っているのでしょうか?聖書の外に神様の言葉は存在するのでしょうか?一体何が人間を天国へ導いてくれるのでしょう?それはあくまで聖書に忠実にあることすることでしょうか、それとも子羊の足跡をたどることでしょうか?この短編はその答えを全て明らかにしてくれます。

2020年4月6日月曜日

全能神教会 | 1主イエス自らが神が働きを行なうために終わりの日に受肉し、人の子として現れると預言した

参考聖書箇所
「あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」(ルカによる福音書 12:40)
「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。」(マタイによる福音書 24:37)
「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書 24:27)
「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカによる福音書 17:24-25)
「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書 25:6)
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはい

2020年2月4日火曜日

全能神教会 | 聖書について(4)

多くの人は、聖書を理解することと解釈できることは、真の道を探すのと同じことだと信じている。しかし、実際、物事はそんなに単純だろうか。聖書の実際は誰も知らない。つまり、聖書は単なる神の働きについての歴史的記録であること、神の以前の二段階の働きについての証しであること、神の働きの目的については何も教えていないことである。聖書を読んだことのある人はみな、そこには律法の時代と恵みの時代の二つの段階での神の働きが記録されていることを知っている。旧約はイスラエルの歴史と創造から律法の時代の終わりまでのヤーウェの働きを記録している。新約では四福音書に、イエスの地上の働きと、パウロの働きを記録している。これらは歴史的記録ではないのか。過去の物事を今日に

2020年2月3日月曜日

全能神教会 | 聖書について(3)

聖書にあることがみな、神が直接語った言葉の記録だというわけではない。聖書はただ、神の働きのうちの前の二段階を文書で記録しているに過ぎない。そこには預言者たちの預言と、各時代で神に用いられた人々の経験と認識を記したものが含まれる。人間の経験には人間の意見や認識が紛れ込んでいるが、これは避けられないことである。聖書の多くの書には、人間の観念、人間の偏見、人間の愚かしい解釈が含まれている。もちろん、ほとんどの言葉は聖霊による啓示と教えの結果で、それらは正しい解釈である。しかし、すべてが真理を正確に表現しているとは言えない。ある物事についての見方は、個人的な経験による知識に過ぎないか、聖霊による啓示である。預言者たちの預言は神が直接指示したものだ。

2020年2月2日日曜日

全能神教会 | 聖書について(2)

聖書は旧約・新約聖書とも呼ばれる。あなたたちは、「約」の意味を知っているだろうか。「旧約」の「約」とは、ヤーウェがエジプト人を殺してイスラエルの民をパロから救ったときの、ヤーウェとイスラエルの民との契約に由来する。もちろん、この契約の証しは鴨居につけた羊の血で、神はそれをもって人間と契約を結んだ。この契約は、二本の門柱と鴨居に羊の血のついた家の者はイスラエル人で、彼らは神の選ばれた民であり、ヤーウェは彼らを通り過ぎる(このとき、ヤーウェはエジプト人の初子たちと羊や牛の初子をみな殺そうとしていた)という内容であった。この契約には二重の意味がある。ヤーウェはエジプト人とその家畜を一切救わず、男の初子と羊と牛の初子をみな殺す。そこで、多くの預言書は、エジプト人がヤーウェの契約のために厳しい刑罰を受けることを預言していた。これが契約の第一層の意味である。

2020年2月1日土曜日

全能神教会 | 聖書について(1)


 

神への信仰において、どのように聖書に接するべきであろうか。これは原則的な問題だ。なぜわたしたちはこの問について話し合っているのだろうか。それは、将来あなたは福音を広め、神の国の時代の働きを広げることになるが、単に今日の神の働きについて話せるだけでは不十分だからである。神の働きを広げるためには、人々の古い宗教観念や古い信仰の方法を取り除き、人々を完全に確信させることがますます重要だ。そして、そこに至るには、聖書が関わってくる。長い間、人々の伝統的な信仰の方法は(世界の三大宗教の一つであるキリスト教においては)聖書を読むことであった。聖書から離れることは、主を信じることではない。聖書から離れ