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2019年10月28日月曜日

全能神教会 | 人類に対する創造主の真摯な思い入れ


人々は、神を知ることは簡単ではない、と言うことが多々ある。しかし、わたしは、神を知ることが困難なことは全く無い、と述べている。なぜなら、神は人間が業を目にすることを頻繁に許しているからである。現在に至るまで、神が人間との対話を辞めたことは無い。神が人間から隠れ去ったことも無く、自らが隠れたことも無い。神の心、神の言葉、神の業は、全て人間に対して明示されている。したがって、人間が神を知ることを望む限り、様々な方法で人間は神を知ることが出来る。神は人間をことさらに避けている、神は故意に人間から隠れている、神には人間が神を理解することを許可するつもりが全く無い、などと人間が盲目に考える理由は、人間が神の存在を知らず、神を知ることを望まず、そして何よりも人間が創造主の心、言葉、業などに無関心だからである。事実を述べると、もし誰かが、余暇に創造主の言葉や業について考え、理解し、創造主の心と、その心による言葉に注意を払ったとすれば、神の心、言葉、業は見ることが出来るものであり、明瞭なものであることに気付くのは困難ではない。同様に、創造主は常に人間の中にあり、人間や創造物すべてとの対話を行い、新たな業を毎日行っていることに気付くのに、努力はそれほど必要とされない。神の本質と性質は、神と人間との対話の中で表出され、神の心と考えは、神の業においてすべて明示されており、神は常に人間と共にあり、人間を見守っている。神は人間や創造物のすべてに対して、落ち着いた声で静かに語りかけ、「わたしは天の上にあり、わたしは万物の中にある、わたしは見守り、待っている。わたしはあなたの傍らにある」と述べている。神の手は温かく力強い。神の足取りは軽やかである。神の声は温和で優しい。神の身体はすれ違いざまに振り向いて人類すべてを抱擁する。神の表情は優美である。神は、立ち去ることも、消え去ることも無かった。神は、夜明けから日没まで、常に人間と共にある。人間に対する神の心からの労りと並々ならぬ思い入れ、真の思いやりと愛は、神がニネベの町を救った時にも少しずつ示されていた。特に、ヤーウェとヨナの会話では、創造主が創造した人類に対する、創造主自身の同情が露見される。これらの言葉からは、人間に対する神の真摯な思い入れを知ることができる。

2017年8月6日日曜日

全能神教会の讃美歌MV「今ここで、私達は集う」


今ここで、私達は集う
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私達はし合う家族 あ・・・あ・・・
今ここで、私達は集う。を愛する人々の集い
偏見なく、堅く結ばれ、幸福と甘美が私達の心を満たす
後悔と罪悪感を昨日に置いて
私達は今日、互いを理解し、神の愛の中で生きる
共にいて、肉から解き放たれ、私達は皆とても幸せだ
兄弟姉妹よ、愛し合おう、私達は家族だ
偏見なく、堅く結ばれる あ・・・あ・・・
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今ここで、私達は集う。世界中の人々の集い
腐敗させられたが、神に救われた
私達には共通の言葉と同じ心、そして同じ意志がある
引き離されている時も、感情を共有し
そして、私達が得た経験と認識も分かち合っている
今私達は、目の前にある光り輝くいのちの道を歩んでいる
希望と輝きに満ちた、喜ばしい未来
希望と輝きに満ちた、喜ばしい未来 あ・・・あ・・・
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今ここで、私達は集う
しかし間もなく私達は離ればなれになるだろう
神の委託と御旨を負い
神の御業のために、私達は互いに離れてゆく
集っている時、私達は笑い、楽しく語り
私達が去る時は、互いに励まし合う
神の愛、それは最後の時まで忠実であるための私達の源
美しい未来のためなら、私達は出来る限りを尽くすだろう
美しい未来のためなら、私達は出来る限りを尽くすだろう
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より