2018年1月29日月曜日

東方閃電|全能神教会御言葉|道 (6)(抜粋)1


東方閃電|全能神教会|道 (6)(抜粋)1
 私達が現代において出現した理由は、神の御業である。ゆえに、私達は皆、神の統御計画における生存者であり、現在に至るまで私達が存続することが出来ていることは、神の大いなる励ましである。神の計画によると、赤い大きな竜の国は滅ぼされる必要があるが、おそらく神は、それとは別の計画を立てられているか、あるいは神は御業の別の部分を実施される必要があるであろう。したがって、現在までは、私はそのことを明瞭に説明出来ずに居る。それはあたかも説明のつかない謎かけのようである。しかし全体として、私達は神により予定された者であり、神は私達に対して別の御業を行われていると、私は信じ続けている。私達全員が「神よ、あなたの御旨が実現し、私達の前にもう一度来られ、あなたの栄光と御顔を明瞭に見ることが出来るよう、あなたが隠れられませんように」と、天国を求めますように。私は、神が私達を導かれる道は、直線ではなく、曲がりくねって穴の多い道であると、私は常に感じる。そして、道の凹凸が多ければ多いほど、その道は私達の愛する心を暴くが、そのような道を開くことが出来る者は、私達の中には居ないと、神は言われる。私の経験では、凹凸が多く険しい道を数多く歩み、多くの苦難を耐えてきた。私は完全に悲しみにうちひしがれて泣き叫びたいと思うほどであったが、私はその道を現在まで歩み続けてきた。私は、これが神により導かれた道であると考え、そうした全ての苦難に耐えて歩き続けている。なぜなら、この道は神が定められた道であるのだから、誰がそこから逃れることが出来ようか。私は祝福を求めているのではなく、神の御旨にしたがって私が歩むべき道を歩むことが出来ることを求めている。私は他人を真似ることや他人の歩む道を歩むことを求めない。私が求めるのは、自分に定められた道を最後まで歩む情熱を満たせることのみである。私は他人の助けを求めない。率直に言えば、私もまた他人を助けられない。この問題について、私は極めて敏感であるように感じる。他人がどう思うかは、分からない。なぜなら、ある者が苦しむ必要のある程度や、歩む必要のある自らの道の距離は、神により定められたもので、誰かが他の誰かを、それほど助けることは出来ないと、私は常に信じてきたからである。私達の兄弟姉妹の中には、私には愛が欠如していると言う者も居るかも知れない。しかし、とりもなおさず、それが私の考えである。人々は、神の導きに頼って自分の道を歩む。そして私達の兄弟姉妹の殆どが、私の心を理解するであろうと、私は思う。また、私達の愛が一層純粋になり、私達の友好関係が一層貴いものとなるよう、神が私達に対して、この側面に関する一層多くの啓示を与えられることを、私は願う。神の主導に基づいて人間関係を成立させるため、私達はこの件について、当惑してはならず、この件を一層明瞭に理解する必要がある。

 神は長年にわたり中国本土において御業を行い、あらゆる人々に莫大な代償を払って来られ、私達は現状に到達した。あらゆる者を正しい道へと導くには、この御業を皆が苦手とする部分から開始する必要があると、私は考える。最初の関門を超えて前進を続けるには、そうするほか無い。その方が良いのではなかろうか。数千年にわたり腐敗し続けてきた中国国家は、現在まで存続してきた。ありとあらゆる害毒が、らい病のように随所に拡散している。人間関係を見るだけで、人間にどれほど大量の害毒があるかを理解するに十分である。そうした密閉されて害毒に冒された領域で御業を行うことは、神にとって極めて困難である。人々の人間性、習慣、行動方法、人生や人間関係で表現されるあらゆる物事は、すべて信じられない程に破壊され、それに加えて人々の知識や文化も全て神により咎められている。人間が自分の家族や社会から得た様々な経験についても、言うまでも無い。こうした物事は全て神の目により裁かれて来た。なぜなら、この地に住む人間には、害悪を食べ過ぎたからである。人々にとって、それは普通の事のように思われ、人々はそれについて何も考えない。ゆえに、ある場所の人々の腐敗が酷ければ酷いほど、そうした者の人間関係も一層不適切なものとなる。人間関係には内輪もめがあり、あたかもその地が人間が共食いする悪魔の町であるかのように、互いに陰謀を企み合い、殺し合う。そうした幽霊がはびこる恐ろしい場所で神の御業を行うのは、極めて困難である。私が人々に対応する時は毎回、間断なく祈りを捧げる。なぜなら、私は常に人々に対応するのを恐れており、私の性情により他人の「威厳」を侵害することを強く恐れているからである。私は心の中で、こうした不浄な霊が見境無く振る舞うのを、常に恐れているので、毎回神に私を守るよう求める。こうした人々の間には、様々な種類の不適切な関係が見受けられる。私はこうした物事の全てを目撃し、私の心の中に嫌悪感がある。なぜなら、人々は常に人間同士の用事を行い、神に配慮することが一切無いからである。私は、こうした人々の行動を、骨の髄から憎む。中国本土の人々に見受けられるのは、腐敗したサタンのような性情だけである。それゆえに、そうした者の中における神の御業では、そうした者に何か好ましい部分を見出すことがほぼ不可能である。そうした部分は、すべて聖霊が御業を行われる部分であり、また聖霊は、人間を一層深く感激させて、人間の中で御業を行われるのみである。こうした人々を活用することは、ほぼ不可能である。つまり、聖霊が感激させる御業と、それに対する人間の協力の組み合わせを行うことは出来ない。聖霊は人間を感激させるよう、ひたすら努力するが、それでも人間は愚鈍で無情であり、神が行われている御業が何かを全く知らない。そうしたわけで、中国本土における神の御業は、天地創造の御業に匹敵する。神は人間を全て生まれ変わらせられ、人間のあらゆる部分を変えられている。なぜなら、そうした人々には好ましい部分が皆無だからである。これは、心が極めて痛む。私はそうした人々のために、頻繁に悲しい祈りを捧げる。「神よ、あなたの御霊がそうした人々を大いに感激させ、愚鈍で苦しんでいる者が眠りから覚めて、あなたの栄光の日を迎えるよう、あなたの大いなる御力が、そうした人々に現れますように」という悲しい祈りを捧げる。私達全員が神の御前で神よ、私達の心が完全にあなたへと向かい、この不浄の地から逃れ、立ち上がり、あなたが私達に託された物事を完遂出来るよう、あなたが再び私達を憐れみ、ご配慮いただけますように。」神に祈りますように。私達が神の啓きを得て、神が再び私達を感激させ、私達の心が次第に神へと向かい、神が私達を得られるように、私達を憐れまれることを、私は願っている。これが、私達全員に共通する望みである。

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